『 重荷を負う者と共に 』川上 盾 牧師

2023年2月12日(日)
箴言3:1-8,ルカ8:4-8

沢知恵さん著『うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史』というブックレットを読んだ。差別・偏見を受け、「民族浄化」との国策により強制隔離をされた人々。彼らが入所する園歌の歌詞にその国策のスローガン「民族浄化」という言葉を含むものがあるという。

沢さんはその屈辱的な歌詞を入所者が懐かしそうに歌うのを見て、違和感を感じながらも、そのようにしてアイデンティティを歪めなければ生きて来れなかった人の思いを受けとめ、寄り添いながら筆を進めておられる。重荷を負う人と共に歩むとき、本当に寄り添うためには「自分の信じる正しさ」を留保することも大切なことだと思わされた。

旧約・ヨブ記は、サタンの策略によってひどい皮膚病による苦しみを受けたヨブが、神に抗議する物語である。ヨブは当初は神を恨まなかったが、友人たちの来訪により態度を豹変する。「あなたの苦しみはよく分かるよ」といった過剰な共感、さらには「この苦しみの原因は、あなた自身の気付かぬ罪への報いかも知れない」という説得が、ヨブの怒りに火をつけたのだろう。

重荷を負う人の痛み・苦しみは、本人以外にはなかなか分からない。分かったふりをしてはいけない。ましてや説得・指導などは得策ではない。私たちにできることは「寄り添うこと」だけである。

新約はイエスによる「重い皮膚病人」の癒しの物語。律法の中にも「この病気の人は隔離すべし」との定めがある(レビ13章)。人間としての尊厳を根こそぎ奪われた人…そんな彼がイエスの噂を聞いて「この人なら…」と訪ねてきた。

この時点で彼は律法違反を犯している。近くにファリサイ派の人がいたなら「何してる?持ち場へ帰れ!」と排除したことだろう。しかしイエスは彼を受け入れる。そしてその人の身体に触れ、病を癒されたのである。ちょっと触っただけ?いいえ、イエスは彼を抱きしめられた…そんな風に読み取りたい。この人の痛み・苦しみを受けとめて抱きしめられた、その瞬間に彼は癒される。たとえ病気の症状は完治していなくても、その魂はイエスによって癒されたのだ。

イエスは律法の定めに反してその人を受けとめ、癒された。しかしその直後に「祭司に体を見せ、清めの献げ物をし、証明しなさい」と語られる。これは律法のしきたりに従って社会復帰をする手順である。イエスは律法から自由な人だった。人間を苦しめる律法の定めであれば、しばしばそれを破ることもあった。しかしここでは、この人の社会復帰のために律法の手順を尊重される。自分の正しさを通すことよりも、その人にとって最も良い方法を優先する…それがイエスの寄り添い方であった。

私たちには、イエスのような生き方を100%真似ることはできない。しかし何もできなくても、せめて寄り添うことは大切にしたい。そして私たち自身が重荷を負う時にも、イエスが寄り添って下さることを信じる者でありたい。

2023-02-12 | Posted in | Comments Closed