2025年5月25日(日)
マルコ2:23-27, ガラテヤ5:13-16
人間が秩序よく社会生活を送るためには、規則やルールを守ることが必要だ。みんなが自由に振舞えば「万人の万人に対する闘争」になってしまい、自己利益を損なう。自由の一部を放棄し規則や法律に従い行動することで、結果的に自己利益を得ることができる(社会契約論)。
しかし、規則や法律といったものは一旦定められてしまうと、その中にお行儀よく収まることをよしとする精神を生み出す。自分が求め人にもそれを強要し、結果的に生き生きとした生き方を見失ってしまう。イエスの時代の律法学者たちがその典型だ。
旧約に定められた律法は、人が神の前にいかに生きるかその道を示すもの。律法を守る生活のシンボルが安息日であった。もとは人が労働から離れ、礼拝をし祈ることを通して、身体と心を回復させ新たな生活に向かう. . .そのようなものであったが、イエスの時代の律法主義者たちは「安息日厳守」が目的となってしまっていた。
そんな中、イエスはしばしば安息日の決まりを破り、自由に振舞った(病気の癒し=労働、自由な食事等)。それを咎める律法学者たちに「安息日は人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」と返された。イエスは「枠を超える自由」を大切にされた。そうすることで形式主義・権威主義がはびこる社会に風穴をあけられたのだ。
今から161年前、開国前の日本からひとりの若者が脱出した。新島七五三太、後の新島襄である。外国の文化や科学を学びたいという少年の憧れ. . .しかし幕藩体制はその夢をかなえてくれる社会ではなかった。見つかれば打首獄門. . .その危険を冒して彼は出獄する。枠の中におとなしく収まって一生を終えることに耐えられなかったのだ。
枠を飛び出した地、アメリカにおいて新島(既にジョー=襄と呼ばれていた)の生活・学費の世話をし、学校への紹介をしてくれたのがハーディ氏。アメリカの会衆派教会の信徒である。会衆派はアメリカのキリスト教の中でも、もっとも自由を尊ぶ教派であった。
そんな会衆派教会での学びや出会いの中で、新島は「枠を超える自由」と共に、もう一つ大切なキリスト教のエッセンスを知る。それは「壁を超える愛」というものである。
民族の違い、貧富の差、職業や病気による差別. . .そのような壁を乗り越えて、すべての人に神の愛を届けられたイエス。最後は十字架に架けられようとも、隣人への愛を貫いたその姿に深く心打たれた。そして開国間もない日本に、そのイエスの道を伝える志を立て、宣教師となり、日本に帰国する。
パウロはガラテヤの手紙の中で「あなたがたの自由を、罪を犯す機会とせずに愛によって互いに仕えなさい」と教える。自由を求める人間の魂が、「万人の万人に対する闘争」とならないために、一方で隣人への愛を学びなさい、と語るのだ。
「枠を超える自由」「壁を超える愛」このふたつのコンセプトが融合するとことに、キリスト者の本当の豊かな生き方が生み出されるのである。