『 世界の中の自分 』

2018年10月28日(日)
ヨブ記38-:1-18,ルカ12:13-21

17年前にアメリカ旅行をした際に用意したトラベラーズチェック(TC)1000ドル分を、未だに換金できずに持っている。円のレートが大きく下がり、「今換金したら損をする」というまま時を失してしまったからだ。改めて自分のケチさ加減にほとほと情けなくなる。

「あらゆる貪欲に注意を払い用心しなさい」そう言ってイエスは「愚かな金持ちのたとえ」を語られた。遺産相続争いをめぐる訴えを受けてのことである。「遺産相続争い」というと近代的な出来事に思えるが、イエスの時代(2000年前)からそれはあった。それどころか、モーセの時代(4000年前?)からあったことが民数記(27章)や申命記(21章)の記述からうかがえる。

しかし人類の長い歴史(20万年)の中で見ればそれはせいぜいここ5000年ほどの出来事でもある。それ以前の人類は、遺産(財産)を持っていなかったからだ。狩りに出かけ、採集をし、獲れたものはみんなで分かち合う。このライフサイクルに大きな革命を起こしたのが農耕、特に保存の効く穀物の開発だ。こうして穀物(石高)、それを生み出す土地が「財産」として人類史に登録された。

そして人類は穀物以上に保存が効き利用範囲が広い財産を造り出した。貨幣(お金)である。人類は何がしかの財産(または負債)を持つ生活に入り、そしてそこに「遺産相続争い」も生まれる。

この「財産を持つ」という暮らしが発展する中で、増幅された人間の心理がある。それが「欲望」「貪欲」である。保存の効かないもので暮らしていた時代(狩猟採集時代)にはささやかでしかなかった欲望が、貨幣の時代になると天井知らずの貪欲となっていくのである。

それにしてもどうして人間は財産を持つと貪欲になるのであろう?それはその財産が今も将来も自分の欲望を都合よくかなえてくれるものだからだ。それは言い換えれば「世界を自分の意のままにできる」ということである。そういう願望が貪欲の源なのであろう。自分の欲望を都合よくかなえてくれる神を拝むのが偶像崇拝だ。その意味では貨幣は現代における偶像の神々である。

イエスはその貪欲に支配される人の姿を愚かな金持ちにたとえ、「神の前に富まない人」と言われた。ではいったい「神の前に豊かになる」とはどういうことなのだろうか。

ヨブ記においてヨブが信仰を取り戻すきっかけとなった神の言葉がヒントを与えてくれる。神の前に信仰深く歩み、正しく生きたにもかかわらず訪れた様々な不幸や苦難に、ヨブは「理不尽だ」と抗議の声を上げる。そのヨブが信仰を取り戻すきっかけになったのは「お前が世界の創造者ではない」という神の言葉であった。つまり「あなた(私)のための世界」ではなく、「世界の中のあなた(自分)」に気付きなさい、ということだ。

イエスは「愚かな金持ちのたとえ」に続けて、野の花・空の鳥の教えを語られた。世界の中の自分、世界に養われている自分。その自分の姿に気付き感謝し、すべてを委ねて生きることを教えた後、イエスはこう語られる。「自分の持ち物を売り払って施し、天に富を積みなさい」。これこそが神の前に豊かになる者」の歩みである。「わたしのための世界」ではなく、「世界の中のわたし」「世界のためのわたし」― そのような受けとめ方・世界との向き合い方が、私たちを貪欲を乗り越える歩みへと導いてくれる。

2018-10-28 | Posted in | Comments Closed