教会案内

1. わたしたちの教会は、日本キリスト教団(正式名、日本基督教団)の教会です。

日本キリスト教団は、合同教会です。当時の日本帝国政府は、1941年、第2次世界大戦のさなか、宗教団体法によって敵国の宗教とされたキリスト教統制のため、プロテスタント・キリスト教会を強制的に合同させました。それが日本基督教団です。敗戦後、日本基督教団は多くの教会の離脱の後、残された教会によって合同教会として再出発しました。特に創立の経緯に関する反省を基に、様々な課題を負いながら歩んできました。わたしたちの教会は、使徒信条(古代から教会の基本的信条)を含む日本キリスト教団信仰告白を告白し、聖霊に導かれて、 主の来臨を待つ、イエス・キリストの福音に立つ教会です。現在、日本キリスト教団にはおよそ1700ほどの教会があります。地域ごとにいくつかのブロックに分かれており、わたしたちの教会は、関東教区(埼玉、群馬、栃木、茨城、新潟の5県)に属しています。

2. わたしたちの教会は、会衆主義教会の伝統を持っています。

わたしたちの教会は、日本キリスト教団の教会となる前は、日本組合基督教会・前橋基督教会でした。『日本組合基督教会』とは戦前のプロテスタント教派の一つで、会衆主義教会(コングリゲーショナルチャーチ)のことです。会衆主義教会はイギリス、アメリカに多く 存在しています。イギリスのピューリタン革命、アメリカに渡ったピューリタンたちが有名です。会衆主義教会は、各教会の独立性が高く、中央教会により管理支配されることに抵抗し、自主、独立の教会を形成する傾向を持っています。その一方で各教会間の協力、協調は大切にしてきました。

3. わたしたちの教会は、京都に同志社を作った新島襄の働きで生まれた教会です。

新島襄は、故郷群馬県に盛んに伝道し、安中教会、甘楽教会、沼田教会などが設立されました。前橋教会はその流れの中で、新島の薫陶を受けた初代牧師・海老名弾正牧師たちによって、1886年7月12日に設立されました。キリスト教の布教活動だけではなく、前橋の教育・福祉のさきがけとなる働きも担いました。前橋英和女学校(現在の共愛学園)、清心幼稚園、上毛孤児院(現在の上毛愛隣社)、前橋盲学校などの創設に、歴代の牧師や信徒が深く関わってきました。


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前橋教会の源流について、牧師が解説します。