2018年12月のメッセージ
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2018年12月30日
2018年12月30日(日)
マタイによる福音書2:1-11イエス・キリストの誕生の場所を訪れる東の国の博士たちの場面である。占星術の学者であった彼らは、「ユダヤ人の王」の誕生を告げる不思議な星に導かれて、ベツレヘムの幼な子のもとにたどり着いたという。いろんなポイントがある箇所であるが、今日は彼らの「献げる姿勢」に注目をしてメッセージを受けとめたい。
先週、クリスマスウィークには全世界で多くの人々が「贈り物を献げる行為」に身を委ねた。このことについて内田樹さんは「匿名の贈与者からの代償を求めない贈与という、人類学的な叡智をたたえた宗教儀礼だからこそ、世界中の人々が実践しているのだと思う」と語っておられた。贈り物を贈る行為、献げる心こそ、人間にとって大切なものの一つであるという指摘である。 続きを読む »
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2018年12月23日
2018年12月23日(日)クリスマス礼拝
ルカによる福音書1:26-38「おめでとう、恵まれた方!主があなたと共におられます!」天使ガブリエルによってそのように告げられたマリア。あまりにも唐突に告げられたそのお告げに、マリアの内心はいかばかりであっただろうか。
「えーっ!?なぜわたしが!?」驚きと共に不安を抱くマリア。それも当然である。彼女はまだ婚約者のヨセフと結婚していなかったのだから。結婚前の女性がその結婚相手以外の人の子を宿すことは、律法(レビ記)の条文を厳格に適用するならば厳罰(死刑)の処せられるほどの出来事である。
「どうしてそのようなことがあり得ましょうか」というマリアの返答には、戸惑い・疑問以上のニュアンスが感じられる。「そんなことがあっては困る!何がおめでとうだ!」そのような拒否感が強くあったのではないか。 続きを読む »
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2018年12月16日
2018年12月16日(日)(CS合同礼拝)
マタイによる福音書2:1-11ユダヤの地にお生まれになったイエスさまに会うために、東の国から星の学者たちが旅をしてきました。不思議な星に導かれ、「新しい王さま」として生まれた幼な子に会いたいと思ってやってきたのです。
学者たちがそのことを最初に尋ねたのは、当時のユダヤの王ヘロデに対してでした。これは「痛恨の出来事」でした。なぜなら学者たちの言葉に不安を覚えたヘロデは、その「新しい王さま」を赤ん坊のうちに殺してしまおうと思ったからです。自分の王としての位をおびやかす新しいヒーローの出現を、ヘロデは決して喜ぶことはありませんでした。しかし学者たちにはその本心を隠し、「幼な子が見つかったら場所を教えてくれ。私も拝みに行くから」と言いました。
学者はその後も旅を続け、そしてベツレヘムでついに幼な子イエスさまに出会いました。そして黄金・乳香・没薬といった高価な財産を、惜しげもなくイエスさまに献げました。しかしその後神の使いのお告げを受けて、ヘロデのところに戻らずに自分の国へ帰ってしまいました。
学者たちが約束を守らなかったことを知ったヘロデは逆上し、ベツレヘムとその周辺の地域に住む2歳以下の男の子を皆殺しにする命令を出しました。こうして何の罪もない子どもたちが殺されてしまったのです。
この物語をベースにして作られた有名な映画があります。アーノルド・シュワルツネガー主演の『ターミネーター』。機械文明が支配する未来の時代で、後に「救世主」として活躍する少年。その存在を消すために未来から派遣されてきた殺し屋が「ターミネーター」です。少年がまだ生まれる前、お母さんのお腹の中にいる時点で殺してしまおうという計画です。この救世主の少年の名前は「ジョン・コフィー」、イニシャルはイエスさまと同じ「J.C.」です。
ヘロデ王が幼な子を虐殺した時、「激しく嘆き悲しむ声が聞こえた」と聖書には記されます。そのような叫び声を上げさせるのが「立派な王さま」の働きでしょうか?そうではありません。ひとりひとりの笑顔を作り出し、「生きていてよかった」という思いを抱かせてくれるのが本当の立派な王さまです。
イエスさまの冠は金ぴかに光り威厳を示す冠ではありません。それは茨の冠、多くの人の救いのために自分のいのちをささげる生涯のしるしです。戦いに勝つ力ではなく、愛することで世界に平和をもたらす方。それが私たちの本当の「新しい王さま」なのです。
クリスマスはその「本当の新しい王さま」としてイエスさまがお生まれになったことを喜ぶ日です。私たちも愛する心を大切に育てながら、その王さまの誕生を今年も喜び迎えましょう。
♪新しい王さま (作詞・作曲/柾野武張)新しい王さまが きょう生まれました
新しい世界を 治められる王さまです戦いではなく 愛することで
世界に平和を もたらす方新しい王さまが きょう生まれました
新しい世界を 治められる王さまです -
2018年12月09日
2018年12月9日(日)
イザヤ55:1-5,ヨハネの黙示録21:5-7神戸から長女と孫が遊びに来た。前橋で一晩過ごして言うことには「何と乾いた気候だこと!」。ずっと暮らしていると慣れてしまっているが、よそから来ると尋常ではない乾燥地帯に感じるらしい。同じことは今年吾妻教会に来た稲垣牧師も言っておられた。彼は藤岡育ちであるが、大人になって久しぶりに住む群馬は、とても乾いた土地に感じるらしい。
乾いた土地で育まれた県民性(気質)というものがある。私が子どもの頃、伊勢崎の親戚の家を訪ねて感じたのは、育った地・京都人のジメっとした人間性に比べて、オモテ・ウラのないカラッとした上州人の気質であり、それが結構気に入っていた。「乾いている」のも悪いことばかりではない。
しかし、気質ではなく「心が渇いている」というのは、あまり良いことではないだろう。それは生きている意味・喜びを見えにくくさせるものとして作用してしまうからだ。 続きを読む »
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2018年12月02日
2018年12月2日(日)
エレミヤ33:14-16,ヤコブ5:7-11教会の暦はアドベント(待降節)から始まる。クライマックスとも言えるクリスマス(イエス・キリストの降誕)からではなく、そのクリスマスを待つ期間から新たな歩みが始まるということ。そこには何か大切な意味が込められているように思う。
キリスト教は「待つ宗教」であると言える。何かを構築したり、達成したり、修業を積んで悟りを開いたりするのでなく、神の救いの到来をひたすら待ち望む… それがユダヤ教以来の伝統的な信仰者の佇まいである。「♪むかしユダヤの人々は…とうとい方のお生まれを、何百年も待ちました」(旧幼児さんびか)。何百年と待つ信仰…それは時を超え世代をこえた希望に向けての民族共同作業である。 続きを読む »
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