2020年03月のメッセージ
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2020年03月29日
2020年3月29日(日)
ヨハネによる福音書12:20-36麦が天に向かって穂を実らせる姿が好きだ。星野富弘さんはその姿を「太陽の弓矢」と名付けた。その絵を見て以来、自分の子どもに「麦」という名前をつけたかったが、「人間らしい名前にしてちょうだい」と言われ、家族から却下された(当時は人名になじまなかった)。その代わりに、現在わが家で飼っているネコの名前が「ムギ」である。
群馬に来て「麦秋」の麦畑の美しさを知った。黄金色に輝く実を結んだ麦の穂が風に揺れる姿は本当に美しい。日本では芽が出てすぐに麦を踏む農法が行なわれる。冬場、霜柱による浮き上がりを防ぐため、そして踏まれることによって修復する成分が分泌され、太く強く実るのだという。
「ひと粒の麦が地に落ちて死ななければひと粒のままである。しかし死ねば多くの実を結ぶ。」今日の聖書の箇所のイエスの言葉である。蒔かれた麦の種が、芽を出し茎を太くし葉を茂らせてゆくに従って、最初の種は養分を送りながら朽ちてゆく。その姿と、自身の十字架の死、それによる人々の救いとを重ね合わせて語られるのである。 続きを読む »
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2020年03月22日
2020年3月22日(日) レント賛美礼拝
使徒言行録13:44-47今日の賛美礼拝は、アルゼンチンの賛美歌作家、パブロ・ソーサさんの曲を中心に行なっている。南米のいろんな民族音楽を用いた賛美歌をたくさん創作しておられる。ソーサ氏がこのような賛美歌創作の活動を始めのたは、ひとつの出会いがきっかけだった。
半世紀以上前、スリランカの神学者、D.T.ナイルズ氏がアルゼンチンに来られ、スリランカやインドの旋律を用いた賛美歌を紹介してくれた。みんながその美しいメロディにうっとり聴き入っていると、ナイルズさんは突然言われた。「さぁ、次は君たちの番だ。君たちの国の賛美歌を歌ってくれたまえ」。
若きソーサ氏はとっさに答えた。「私たちの民族音楽は教会の礼拝にはふさわしくありません」。それでも何か歌えと言われるのでソーサ氏は仲間と一緒に、賛美歌ではないアルゼンチンの民謡を一曲披露した。それを聴いたナイルズ氏は言われた。「すばらしい歌だ。あなたがたはとてもすばらしい歌を持っている。 なのにどうしてこれを礼拝の中で用いないのか。それはおかしなことではないか。」 続きを読む »
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2020年03月15日
2020年3月15日(日)
ヨシュア24:14-24, ヨハネ6:6-7新型コロナウィルスの心配の中で、各種行事をどうするか、多くの人々が判断に苦悩している。ただ一つの「正解」があるわけではない中で、それでも判断しなければならない。こういう場合大切な振る舞い方は、個々に判断を下す軸を持ちつつ、他者の判断を否定・批判しないことであろう。
こんな状況の中で、えてして下しがちな判断として「よそではこうしているからウチも…」「まわりからはこう見られているから…」といったものがある。私たちの心の中にも同種の思いがあるのを感じるが、そういった人の目を気にする判断は、結局右往左往する根源になると思う。このような迷う局面に立たされたとき、私たちには頼るべき座標軸が与えられている。 続きを読む »
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2020年03月08日
2020年3月8日(日)
列王記下6:8-17,ヨハネ9:13-17人間が外部から情報を得る手段として、視覚によるものが一番割合が多いという(80%)。その点で言うならば、目の不自由な人は見える人に比べて8割のハンディを負っていることになる。しかし見えている人が「本当に見えているか?」と言われると、答えにおぼつかなくなる。目に入っているはずなのに見えていない、認知されていないという体験は、誰にでもあるだろう。
見えなくさせる理由はいくつかある。①思い込み。「こんな形だった」「こんな色だった」という思い込みが捜しものの発見を遅らせることがよくある。②無関心。道を運転してきて「あそこにあんなお店があったね」と言われて、「そんなん、あったっけ?」という体験は誰にでもあるだろう。③当たり前すぎて認知されない。どんな絶景も、それが「あたり前」だと思って生活してる人の目には入らない(雨晴海岸から見る立山連峰。カイロ市におけるピラミッド)。こういう理由から、たとえ目が見える人であっても、目に入っているものが認知されない…そんな「蒙昧」をかかえながら、私たちは日々生きている。
今日の箇所は旧約・新約いずれも「見えるとは?」「見えないとは?」「見えない者が見えるようになるとは?」といったことについて考えさせられる箇所である。 続きを読む »
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2020年03月01日
2020年3月1日(日) レント第一主日
出エジプト17:3-7,マタイ4:1-11地区教師会で、礼拝学を研究してこられた教師から、レントからイースター、そしてペンテコステに至る教会暦の発題をうかがった。古来よりこの教会暦のつながりは一つの流れをもって構成されてきたという。アドヴェントの期間が30日足らずであるのに対し、レント~イースター~ペンテコステは94日間にも至る。この一連の流れは「灰から光へ、そして炎へ」とのイメージでデザインされてきたのだという。
灰の水曜日より始まるレント(受難節)。旧約聖書において、灰は苦しみ・悲しみを表す所作としてしばしば登場する(ヨブ記、エステル記等)。それはまさに、イエス・キリストの苦しみに自分自身の思いをシンクロさせてゆく歩みである。
しかしその苦しみもいつまでも続くものではない。苦しみをくぐり抜けたその向こうに、朝の光と共に訪れるイースターの喜びがある。それが「灰から光へ」の歩みである。このことは言い換えれば、私たちが本当の喜びにたどりつくには、その前に灰の苦しみを通らなければならない… そんなことを示しているのかも知れない。 続きを読む »
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