2020年05月のメッセージ
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2020年05月31日
2020年5月31日(日) ペンテコステ礼拝
使徒言行録2:1-11ペンテコステ。それは弟子たちに聖霊が降り、教会の宣教が始められていった日である。「霊」というと「背後霊」とか「悪霊」といった得体の知れないものを想像するかも知れないが、聖霊とはそういうものではない。目に見えない神さまの導きのことである。
誰の人生にも「どうしてあの時、こう考えたのだろう?あのように決断できたのだろう?」ということがあるはずだ。その考えや決断をうながしてくれたもの…それを聖霊の導きだと受けとめる。その時には分からなくてもいい。後でふり返って分かるもの、気付きを与えてくれるもの、それが聖霊の導きである。
使徒言行録はペンテコステの聖霊の導きを、二つの事象で表している。炎と風である。炎は冷たくなっていた、冷え切った「石の心」に、再び血の通う温かさをもたらしてくれる(肉の心)。聖霊の炎はその温もりを取り戻させてくれる。ペンテコステのシンボルカラーは、その炎を表す「赤」である。 続きを読む »
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2020年05月24日
2020年5月24日(日)
列王記下2:6-10,ヨハネ7:28-395月21日は昇天日、復活のイエスが40日間弟子たちと共に過ごした後、天に昇られた日であった。頼れる「師」が再び不在となる出来事に、弟子たちの心には不安や心配が渦巻いていたことだろう。免許取り立てで初めて公道を走る新米ドライバーのような気持だったのではないか。
マタイ福音書では一番最後に「わたしはいつもあなたがたと共にいる」というイエスの言葉が語られる。一方ではいつも共にいるイエス。しかし一方では天に昇るイエス。「どっちなんじゃい!」けれども、大切な人との関わりとはそういうものではないか。
どんな頼りになる人でもずっと一緒にいられるわけではない。いつか別れねばならない。しかし離れてしまってもその人との関わりがなくなるわけではない。むしろ離れているからこそ絆が強く深く感じられることがある。その人の不在と共在を同時に感じるという体験である。 続きを読む »
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2020年05月17日
2020年5月17日(日)
出エ33:7-11,ローマ8:26-30,ヨハネ16:33人間は勝負に勝つことが好きだ。ジャンケンに勝てば喜び、好きなチームが勝てば乱舞し、ビンゴゲームで数字が揃えば満面の笑顔で景品を取りに走り出す。しかしすべての勝利を喜べるわけではない。バドミントンの桃田賢斗選手は、尊敬する中国のレジェンド選手を破った時「淋しさを感じた」と語った。相手への敬意や憧れが、勝利の喜びを苦いものに替えたのであろう。
今日は「わたしは世に勝っている」というイエスの言葉に導かれ、聖書からのメッセージを受けとめたい。
旧約はモーセの物語。エジプトを脱出し「約束の地」に向かうイスラエルの民を、ヤハウェが「臨在の幕屋」によって導かれたことが記される。「神さまはそのように、いつもイスラエルと共にいて下さったんだよ…」とも読めるが、事はそんなに単純ではない。実はこの箇所はイスラエルにとって大失態とも言える事件の直後に置かれているのだ。 続きを読む »
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2020年05月10日
2020年5月10日(日)
エゼキエル36:24-28,ガラテヤ5:13-25私たちは今、イースターからペンテコステに向かう「あいだの季節」を過ごしている。それは「イエスのいのち」の「確かさ」と、「イエス不在の歩み」という「不確かさ」の「あいだの時期」でもあるということだ。そんな中で弟子たちに与えられたものがある。それが「聖霊の導き」だ。
ペンテコステの出来事。「激しい風と炎のような舌」という象徴的な描写がある。しかし実際には、そんな劇的な出来事というよりは、「そう言えばあの時…」とあとで分かる形で、少しずつ、徐々に注がれていった…そういうものではないかと思う。
旧約はエゼキエル書。自らバビロン捕囚民となった祭司・エゼキエルの預言の言葉である。彼は祭司と預言者という二つの職能を担いながら、人々に神の言葉を伝えた。即ち民が浮かれ冗長している時には戒めを、捕囚の苦しみに絶望している時には民族復興の幻を語ったのだ。 続きを読む »
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2020年05月03日
2020年5月3日(日)
ヨハネ福音書21:15-25ヨハネ福音書では、イエスはよみがえった後、弟子たちの元を離れたり、また現れたりを繰り返している。マリアには「私にすがりつくのはよしなさい」と語り、トマスには「見ないで信じる者は幸いだ」と語られた。そしてやがてイエスは弟子たちの元から離れてゆくのである。
イエスは弟子たちを見放されるのか?そうではない。離れていることは、必ずしも絆を失わせることにはならない。巣立ちの季節を迎え、親の元を離れていくこども。しかし離れていても、いや離れているからこそ、その絆は深まるのである。
そんな「巣立ち」を前に、イエスとペトロが語り合ったのが今日の箇所だ。イエスはペトロに尋ねられる。「あなたは私を愛しているか?」ペトロが「はい愛しています」というとイエスは「私の羊を飼いなさい(私を信じる人々の世話をしなさい)」と言われた。こんなやりとりが3度繰り返される。
3回という回数は、十字架の直前にペトロが、わが身を守ろうとして「あんな人のことは知らない!」とその関わりを否定した回数と対応する。3度にわたって「私を愛するか?」と尋ねられたペトロ。その心境はいかばかりであっただろうか。 続きを読む »
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