2021年01月のメッセージ
-
2021年01月31日
2021年1月31日(日)
マタイによる福音書5:17-20人が規則を守るのは、違反した時の罰則を恐れるからだろうか?そういう心理もないわけではないが、本質はもっと他にある。人が規則に従うのは、その定めが目指すものを人々が理解し、納得し、共感しているからである。逆にその理解・納得・共感がないところでは、どんな重罰を科しても人は網目をくぐるように規則を破るだろう。
イエスの時代の「律法主義」とは、まさに律法の目的の本質を見失い、理解・納得・共感なしにただ規則を「守らせる」という態度であった。そのため、本来人間を救うはずの宗教が、むしろ人々を押さえつけるものとなってしまっていた。
この息苦しい世界に風穴を開けたのがイエスだ。 続きを読む »
-
2021年01月24日
2021年1月24日(日)
イザヤ8:23-9:3, マタイ4:12-17アメリカ新大統領就任演説の中で、「恐怖ではなく希望の、分断ではなく団結の、暗闇ではなく光の物語を一緒の書いていきましょう。」というフレーズが印象に残った。新型コロナウイルス感染が広がって1年。なかなか明るい兆しが見えてこない。そんな中、それでも暗闇の中に光を見出したい。
聖書は旧約も新約も「暗闇に光」に関する箇所である。イザヤ書はアッシリア占領の時代、国土の半分を支配されたイスラエル。その暗闇の中に光が与えられることを語る箇所である。この箇所は私たちにもなじみが深い。クリスマスの時期によく読まれる箇所、旧約のメシヤ預言のひとつとされている箇所だからである。「ひとりのみどりごが与えられた/その名は驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君と唱えられる」(イサヤ9:5)
このイザヤの預言が700年の時を経て現実のものとなったということを表すのがマタイである。 続きを読む »
-
2021年01月17日
2021年1月17日(日)
マタイ4:18-25イエスの宣教集団と、相撲部屋には意外な共通点がある。「いずれも弟子を取る」ということなのだが、弟子入りの形が似ているのだ。武道、芸能、学問、お茶やお花など、師匠と弟子との関係で技や知識が受け継がれる世界は他にもある。しかしほとんどの場合、弟子の方から願い出て弟子入りする。
しかし相撲の場合、とにかく身体の大きい子どもを見つけて、親方の方から声をかける。身体の大きささえあれば、独特の育成メソッドで、それなりの力士に育てることができるのだそうだ。
イエスの場合も、師であるイエスの方から声をかけて弟子を招かれる。今日の箇所は4人の漁師の弟子入りの場面だ。イエスが宣教を始められるにあたり、たったひとりで始めるのでなく、弟子を招かれた。イエスにも共に歩む仲間が必要だったということなのかも知れない。 続きを読む »
-
2021年01月10日
2021年1月10日(日)
マタイによる福音書3:13-17洗礼を受けた人へのあいさつとして「おめでとう」という言葉がふさわしいのかどうか、考えることがある。ひとりの信仰の仲間が加えられた喜びが語らせるのだろうが、信仰を持つことによって悩みが深まることもある。イエスは「十字架を背負って私に従え」と語られた。そのような決断をした人に対しては、「おめでとう」よりは「ようこそ!共に歩みましょう。」という言葉の方が相応しい気がする。
洗礼において、クリスチャンとしての新しい歩みが始まる。その時、司式者は頭に手を置いて祈る。このことが大切だと思う。イエスは子どもたちを受け入れ、頭に手を置いて祝福された。初代教会の宣教者たちは、頭に手を置く祈りによって送り出されていった(按手式)。頭に手を置いて祈る…それは祝福と派遣を表すふるまいなのだ。
今日の箇所は旧約・新約とも、「按手」に関する箇所である。旧約はダビデの任命の場面。預言者サムエルは、エッサイの息子のうち、屈強な兄たちではなく、末っ子のまだ少年のダビデを選び、頭に油を注いでイスラエル次代の王として任命した。王となるには「自分がなりたいから、なる!」という方法ではなく、誰か他の人から任命されるという手続きが必要なのである。
新約はイエスの受洗の場面である。 続きを読む »
-
2021年01月03日
2021年1月3日(日)
エレミヤ31:15-17,マタイ2:13-23大晦日の新聞に掲載された、「人間の想像力によって、新しい物語が生まれる」という動画配信会社のCMに目を奪われた。人類の英知はこのコロナ危機もいつの日か乗り切ることだろう。さて、その時生まれる「新しい物語」とはどんなものなのだろうか?どんな物語が始まるにせよ、そこで「ちいさないのち」が損なわれるような道だけは、決して進むことがないように祈りたい。
新年最初の聖書箇所は三人の博士の物語、その続編である。「新しい王」の誕生を見届けようと、東の国から来た彼らは、幼な子イエスに出会ったが「ヘロデのところに帰るな」というお告げを受けて、別の道を通って帰っていった。
博士たちに裏切られたことに腹を立てたヘロデは、周辺地域の2歳以下の男子を皆殺しにした。自分の座を脅かす人物の出現を、幼な子のうちに摘み取ってしまおうしたのである。
マタイはこの悲劇を、激しく泣く母たちの姿を語ったエレミヤの預言を引用して記している。救い主の誕生という喜びの出来事の傍らに、わが子を殺された母たちの悲しみがあったことを忘れてはならない。 続きを読む »
メッセージの月別一覧
- 2023年9月
- 2023年8月
- 2023年7月
- 2023年6月
- 2023年5月
- 2023年4月
- 2023年3月
- 2023年2月
- 2023年1月
- 2022年12月
- 2022年11月
- 2022年10月
- 2022年9月
- 2022年8月
- 2022年7月
- 2022年6月
- 2022年5月
- 2022年4月
- 2022年3月
- 2022年2月
- 2022年1月
- 2021年12月
- 2021年11月
- 2021年10月
- 2021年9月
- 2021年8月
- 2021年7月
- 2021年6月
- 2021年5月
- 2021年4月
- 2021年3月
- 2021年2月
- 2021年1月
- 2020年12月
- 2020年11月
- 2020年10月
- 2020年9月
- 2020年8月
- 2020年7月
- 2020年6月
- 2020年5月
- 2020年4月
- 2020年3月
- 2020年2月
- 2020年1月
- 2019年12月
- 2019年11月
- 2019年10月
- 2019年9月
- 2019年8月
- 2019年7月
- 2019年6月
- 2019年5月
- 2019年4月
- 2019年3月
- 2019年2月
- 2019年1月
- 2018年12月
- 2018年11月
- 2018年10月
- 2018年9月
- 2018年8月
- 2018年7月
- 2018年6月
- 2018年5月
- 2018年4月
- 2018年3月
- 2018年2月
- 2018年1月
- 2017年12月
- 2017年11月
- 2017年10月
- 2017年9月
- 2017年8月
- 2017年7月
- 2017年6月
- 2017年5月
- 2017年4月
- 2017年3月
- 2017年2月
- 2017年1月
- 2016年12月
- 2016年11月
- 2016年10月
- 2016年9月
- 2016年8月
- 2016年7月
- 2016年6月
- 2016年5月
- 2016年4月
- 2016年3月
- 2016年2月
- 2016年1月
- 2015年12月
- 2015年11月
- 2015年10月
- 2015年9月
- 2015年8月
- 2015年7月
- 2015年6月
- 2015年5月
- 2015年4月
- 2015年3月
- 2015年2月
- 2015年1月
- 2014年12月
- 2014年11月
- 2014年10月
- 2014年9月
- 2014年8月
- 2014年7月
- 2014年6月
- 2014年5月
- 2014年4月