2022年05月のメッセージ
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2022年05月29日
2022年5月29日(日)
ヨハネ17:11-13先週、5月26日(木)は『昇天日』。復活されたイエス・キリストが弟子たちと40日を過ごされた後、天に昇って行かれた日である。その時、弟子たちの心境はどんなものであったか?天を見上げ、茫然自失の状態で立ち尽くしていた…そんな姿が思い浮かぶ。
イエスと共に過ごした40日間は心強かった。死に打ち勝ったイエスが様々なことを教え、指示し、導いてくれた。しかしこれからは違う。イエスを十字架にかけた人々がいる中を、自分たちの力で歩んで行かなければならないのである。
しかしそのようにしてイエスが弟子たちの元を離れてゆくのは、実は彼らにとって意味のあることだと思う。不安や恐れを抱きつつ、自分で歩んでいくことによって、彼らの成長が導かれていくからだ。それは親元を離れて、独り立ちに向かってゆく若者の姿に似ている。 続きを読む »
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2022年05月22日
2022年5月22日(日)
創世記18:23-26 ヨハネ16:20-24私たちが祈る時「イエス・キリストの御名によって…」と祈る。その根拠となっているのが今日の新約の箇所である。「わたしの名によって父(神)に願うならば、父はお与えになる」。ヨハネ福音書には同様のイエスの言葉がいくつも記されている。では、イエス・キリストの名によって祈れば「どんなことでも」かなえられるのだろうか?
旧約の箇所も神に祈るアブラハムの姿である。「祈る」というよりも、直談判・折衝という方がふさわしいかも知れない。それはソドムとゴモラの二つの街をめぐる、アブラハムと神とのやりとりである。
「ソドムの住民は邪悪で、主なる神に対して多くの罪を犯していた。」(創世記13:13)神さまのみこころに反して自堕落な生活にふけっていた街に対して、裁きが下されそうとしていた。その計画に真っ向から立ちふさがり待ったをかけたのがアブラハムだった。 続きを読む »
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2022年05月15日
2022年5月15日(日)
出エジプト19:1-6 ヨハネ16:16-20以前赴任していた教会で、庭のぶどうの木の世話をしたことがある。世話をしないと虫にやられてしまい、放っておくと元の木まで枯れることがあるという。虫が入った枝を見つけてはそれを切り落とすことで、実を結ぶことができた。ぶどうの世話とは枝を切り落とすことだと知った。
ぶどうの栽培が盛んなパレスチナで編まれた聖書には、ぶどうの譬えがしばしば登場する。イザヤ5章には、神とイスラエルとの関係を示す譬えが記される。神から「あなたがたはすべての民の間にあって、私の宝」(出エ19:5)と言われたイスラエル。しかしその神の愛を裏切る現実を、イザヤは「すっぱいぶどう」と表現する。そして「ぶどう畑の囲いが取り払われ、焼かれるにまかせ、これを見捨てる」というのである。
その言葉通り、北王国イスラエルはアッシリアによって滅亡する。では、神はイスラエルを見捨て、見限ってしまわれたのか?そうではない。苦難の中にある人々に向かって語られたのが「暗闇の中に光が照った…ひとりのみどりごが与えられた」(イザ9:2)という、あのメシヤ預言である。 続きを読む »
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2022年05月08日
2022年5月8日(日)
レビ19:9-18 ヨハネ13:31-35ウクライナ戦争をきっかけに「日本も他国の侵略に備え、改憲して再軍備をすべきだ」という意見を述べる人がいる。「憲法9条は世界の現実を反映しない『お花畑の空文』だ。現実に合わせて憲法を変えるべきだ」と。
規則の条文が現実に合わなくなっているので改定する、ということはあり得ることだ(例えば女性の参政権)。しかし「武力による紛争解決の放棄」を謳った憲法の条文を同列に置くことはできないだろう。それは目指すべき理想・目標であり、現実が合わないのであればその現実の方を変えるべきなのだ。憲法9条は戦後日本にとって「最も大切な掟」だと思う。
聖書にもいろんな掟がある。その中で最も大切なものは何だろうか?福音書には同じ質問をイエスにした律法学者のことが記されている。イエスは答えられた。「心を尽くして神を愛しなさい。自分を愛するように隣人を愛しなさい」。前半は申命記6:5、後半はレビ記19:18に記された掟である。 続きを読む »
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2022年05月01日
2022年5月1日(日)
エゼキエル34:11-15 ヨハネ10:11-18遊牧民をルーツに持つと言われているイスラエル民族。聖書には羊と羊飼いに関する言葉が何ヶ所か記されている。羊は臆病な生き物で常に群れを作り生活する。自分で判断して動くのではなく、群れの動きに従って行動する。それゆえに、群れを導く羊飼いの働きが重要になる。羊飼いが道を誤れば、群れ全体が道を見失うからである。
エゼキエルは、バビロン捕囚の苦しみの中での「牧者」=宗教指導者に対して、厳しい批判の言葉を記している。「わたしの群れが略奪にさらされ、野の獣の餌食になろうとしているのに、牧者たちは群れを探しもしない。群れを養わず、自分自身を養っている。」(エゼ34:8)それらの頼りない牧者に代わって、神ボ自身が羊を探し、養われると記される。教会の牧師としても大変身につまされる言葉である。
ヨハネでは、その神さまに代わって、人間の世界に与えられた新たな牧者について語られている。「わたしはよい羊飼い。よい羊飼いは羊のために命を捨てる」。その良い羊飼いとは、言うまでもなくイエス・キリストである。 続きを読む »
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