2023年01月のメッセージ
-
2023年01月29日
2023年1月29日(日)
ハガイ2:1-9,ルカ21:5-9古代より人間は神への信仰心を表すために壮大な建築物を築いてきた。聖書の民・イスラエルにとって、それは何といってもエルサレムの神殿であった。最初の神殿を築いたのはソロモン。イスラエルがもっとも繁栄を極めた時代のことである。しかしその神殿もバビロン捕囚の時代に破壊されてしまう。信仰心を打ち砕くことが、人々を従わせる最も効果的な方法であることをバビロニアの権力者は熟知していたのだろう。
その廃墟となった神殿を再建したのがハガイ、セルバベル、ヨシュアである。再建された神殿は「第2神殿」と呼ばれた。捕囚から解放されたとはいえ、まだまだ大きな喪失感の中にあった人々。「こんな時にとても神殿再建なんて無理、まずは生活を立て直さないと…」と絶望感に沈んでいた人々に、ハガイは「自分たちは板の家に住んでおきながら、神殿を廃墟のままにしていていいのか」と叱咤した。「こんな時だからこそ祈りの家が必要だ!」と。こうして再建された第2神殿、ソロモンの神殿よりは質素だったが、人々の心の支えとなったことだろう。
そんな風に、人々の祈る心・信じる心を導いた神殿であったが、イエスの時代には形骸化した宗教のシンボルのような場所となってしまっていた。 続きを読む »
-
2023年01月22日
2023年1月22日(日)
民数記9:15-23,ルカ4:20-30先週1月17日は阪神大震災から28年目の日であった。建物や家具の圧迫で亡くなった人が多く、数cmで生死が分かれる現実があった。神戸で17年間牧師をしていたが、数cmで生き残った人のことを「神さまが守られたと言ってはならない」と自戒をしてきた。それを言ってしまうと、亡くなった方は「神さまが守られなかった」ということになってしまうからである。
「神さまは信じる者をいつも見つめ、守り導いて下さるかたである」という素朴な信仰がある。それは平時においてはとても力強く、頼りになるものだ。しかし災害や事故、病気や戦争といった現実は、その素朴な信仰を激しく揺さぶる。はたして「神の守りと導きはいつもある」ものなのだろうか?
旧約の箇所は民数記。エジプトの奴隷の苦しみから解放されたイスラエルの民が荒野の旅を続ける物語だ。神の約束の地・カナンに向けて荒野をさすらう人々を「昼は雲の柱、夜は火の柱が導いた」と記される。それは「神の守りと導き」を信じて歩む信仰共同体の姿である。
しかし人々はその素朴な信仰を常に抱いて歩んだわけではない。 続きを読む »
-
2023年01月15日
2022年1月15日(日)
出エジプト18:17-23,ルカ5:1-11込み入った大切な仕事は、その役割を長年担ってきた人や慣れてる人・こなれた人に任せる傾向が強い。その方がスムーズに事が進むからである。しかし大事な仕事をひとりの人にだけ任せ続けると、その人が何かの事情でできなくなると途端に困ったことになる。大切な働きだからこそ、ひとりで抱えずに共同で担うことも大事な視点だ。
モーセも同じ事情を抱えていた。エジプト脱出以来、荒野の旅の途中で起こる様々なトラブル、それに対するクレームの対処に、最初はモーセひとりが関わっていた。しかしその効率の悪さ・行き届かない現実に対して、モーセのしゅうとエトロは役割を分担し、共同作業に切り替えることを忠告した。そうしないと、モーセも民も疲れ果ててしまう…と。この忠告を受けて複数の人員による対処へと切り替えていったことが記される。
新約はイエスがペトロやアンデレといった弟子たちを招かれる場面。師匠の方から弟子を招かれるという、通常の弟子入りとは逆のベクトルだ。良く似た形での弟子入りに、大相撲のシステムがある。スカウトが声をかけて入門に誘うのは、身体の大きなこどもたちなのだそうだ。イエスの弟子たちには、何か選ばれるのにふさわしい資質があったのだろうか。 続きを読む »
-
2023年01月08日
2023年1月8日(日)
ヨシュア3:14-17,ルカ3:15-22)旧約・ヨシュア記では、エジプトを脱出したイスラエルの民が、モーセの後継者ヨシュアに導かれてヨルダン川を渡り、「約束の地」に向かう場面が描かれる。川は春の水の多い時期で、どうやって渡ろうか思案していたところ、川の水が別れて壁のように立ち、その間を渡っていけたと記される。エジプト脱出時の「海の奇跡」と同じモチーフだ。「水の中を通って救われる」ということから、洗礼のアナロジー(類比)ともされてきたエピソードである。
新約はイエスの受洗の場面。これから公生涯に入ろうとするに際して、イエスはバプテスマのヨハネから洗礼を受けられた。毎年クリスマスの数週間跡にはこの箇所が読まれることが多い。そこで今日は洗礼について語ろうと思う。 続きを読む »
-
2023年01月01日
2023年1月1日(日)
サムエル上1:20-28,ルカ2:21-35元旦の今日、日本人の多くは初詣に出かける。神社仏閣でささげられている祈りとはどんなものだろうか。「家内安全」「無病息災」「合格祈願」「五穀豊穣」「商売繁盛」…それらはみな自分の願望をかなえてくれる祈願だ。しかしある宮司さんが、そのようなご利益祈願は神社信仰では本筋ではないと語っておられた。
神社の祈りの本質は「決意表明」。「このことを目指します。どうぞ見ていて下さい。」というものなのだそうだ。なるほどなーと思わされた。キリスト教では新年(元旦)に何か宗教的な意味合いがあるわけではないが、年が改まる節目に新しい決意をもって臨むことは大切なことなのかも知れない。
今日与えられた聖書の箇所は、旧約も新約も「わが身を主に献げる」内容である。それも自分の意志ではなく、両親によってわが身を主に献げられるエピソードだ。 続きを読む »
メッセージの月別一覧
- 2023年9月
- 2023年8月
- 2023年7月
- 2023年6月
- 2023年5月
- 2023年4月
- 2023年3月
- 2023年2月
- 2023年1月
- 2022年12月
- 2022年11月
- 2022年10月
- 2022年9月
- 2022年8月
- 2022年7月
- 2022年6月
- 2022年5月
- 2022年4月
- 2022年3月
- 2022年2月
- 2022年1月
- 2021年12月
- 2021年11月
- 2021年10月
- 2021年9月
- 2021年8月
- 2021年7月
- 2021年6月
- 2021年5月
- 2021年4月
- 2021年3月
- 2021年2月
- 2021年1月
- 2020年12月
- 2020年11月
- 2020年10月
- 2020年9月
- 2020年8月
- 2020年7月
- 2020年6月
- 2020年5月
- 2020年4月
- 2020年3月
- 2020年2月
- 2020年1月
- 2019年12月
- 2019年11月
- 2019年10月
- 2019年9月
- 2019年8月
- 2019年7月
- 2019年6月
- 2019年5月
- 2019年4月
- 2019年3月
- 2019年2月
- 2019年1月
- 2018年12月
- 2018年11月
- 2018年10月
- 2018年9月
- 2018年8月
- 2018年7月
- 2018年6月
- 2018年5月
- 2018年4月
- 2018年3月
- 2018年2月
- 2018年1月
- 2017年12月
- 2017年11月
- 2017年10月
- 2017年9月
- 2017年8月
- 2017年7月
- 2017年6月
- 2017年5月
- 2017年4月
- 2017年3月
- 2017年2月
- 2017年1月
- 2016年12月
- 2016年11月
- 2016年10月
- 2016年9月
- 2016年8月
- 2016年7月
- 2016年6月
- 2016年5月
- 2016年4月
- 2016年3月
- 2016年2月
- 2016年1月
- 2015年12月
- 2015年11月
- 2015年10月
- 2015年9月
- 2015年8月
- 2015年7月
- 2015年6月
- 2015年5月
- 2015年4月
- 2015年3月
- 2015年2月
- 2015年1月
- 2014年12月
- 2014年11月
- 2014年10月
- 2014年9月
- 2014年8月
- 2014年7月
- 2014年6月
- 2014年5月
- 2014年4月