『 愛こそはすべて 』

9月14日

聖書  第一コリント13:1-13
前橋に来て、ジャズのセッションのお店に通うようになった。スタンダードナンバーを生バンドの伴奏で、月1~2回ほど歌わせてもらっている。ジャズの曲の多くはラブ・ソング。短い詩に様々な愛の表現が歌われている。若い頃はそんな表現がどうも「甘~く」感じられて、ジャズの歌詞は苦手であった。しかし最近、そのシャレた愛の表現が「なかなかいいなー」と感じるようになってきた。自分の身には「もう起きないこと」と、距離を置いて見られるようになったのかも知れない。

そんな思いを抱きながら参加したボンヘッファーの読書会。そこで書かれてあることを読んで、少々いたたまれない思いを抱いた。「霊的な交わりには明るく秩序と奉仕のある愛・アガペーが生き、人間的な交わりには無秩序な欲望を求める暗い愛・エロースがある。」ボンヘッファーはそう書くが、私が感動したジャズの歌詞は、まさに「エロースの愛」だったからだ。

ギリシャ語で「愛」を表す二つの言葉。「エロース」は条件付けて見返りを求める人間の愛。「アガペー」は条件を付けず見返りを求めない神の愛。「人間的な愛・エロースではなく、神の愛、アガペーを求めて生きる者となりましょう。」教会ではしばしばそんなメッセージが語られる。まったく「正論」である。しかし私は、そこに何とも言えぬ息苦しさを感じる。それは自分の心の中に、アガペーを求める願いと同時に、エロースに憧れる正直な気持ちもあるからだろう。

戦国時代のキリシタン宣教師は、聖書の原語を「愛」と訳さず「お大切」と訳した。相手を大切に思う強い気持ち。それを二つに分けて「こちらはエロース=欲望・暗い」「こちらはアガペー=奉仕・明るい」と二分化する発想そのものに違和感を抱いてしまう。対象が神であれ人であれ、誰かを大切に思う気持ちに良し悪しはつけられないのではないだろうか。

もちろん、人間の愛には欠点や限界がある。執着し、嫉妬し、相手を支配しようとする思いに発展することもある。そのことに気付いておくことは大切だ。しかしそんなネガティブな感情が生まれる以前の、相手への思いが生まれた瞬間の「大切に思う気持ち」、それはそれで尊いものではないか。それは、神の愛・アガペーと切り離されたものではなく、いつの日かつながっていく可能性を秘めた感情だと思う。

旧約の雅歌は、男と女の「愛のうた」、即ちラブ・レターだ。その生き生きとした表現は、男女の愛・エロースが、やがて神と人との愛・アガペーにつながる、そんな世界を示してくれる。

「あなたに欠けているものがひとつある」(マルコ10:21)とイエスは言われる。“All you need is love <あなたに必要なすべてのもの、それは愛>”(ジョン・レノン)「愛こそはすべて」なのだ。