2017年7月16日(日)
イザヤ49:14-21、マタイ6:25-34
釈徹宗さんが、宗教歩果たす機能として、①受容/安定機能、②自律/創造機能、③バインド機能、の3つを挙げておられる。このうち①は人生の苦しみや不条理を神や仏を信じることにより受け入れ、心を安定させる働き、②は神や仏からの問いかけを受けて、従来の枠組みを解体し再構築する、そして社会を変革する働きのことである。
このことを私はしばしば二つの相反する短い言葉によって表している。すなわち①「あなたはそのままでいいよ」と、②「あなたは本当にそれでいいのか?」という言葉である。
①「あなたはそのままでいいよ」― 自分以上のものになろうと力む必要はない、与えられたからだと心のままで生きていく、生かされていく。「ありのまま」。そのことによって私たちは心の安定を得る。
しかし人間は弱く、そしてずるい。そんな弱さに居直ろうとする時に、②「あなたは本当にそれでいいのか?」という問いかけを受けて、自分を見つめ直し新たに生きようとする。聖書の中からこの二つのメッセージを聞くことこそ、私たちの信仰の課題と言えるのではないか。
しかしその二つのうちで、最も大切だと思うのは①の「受容/安定機能」の側面だ。自分がありのまま受け入れてもらっている…そのような体験があってはじめて②の「自律/創造」の働きも生まれると言える。今日の二つの箇所は、いずれもその受容/安定機能、「ありのままでいいよ」という関わりを示す聖書の言葉である。
イザヤ書49章はバビロン捕囚期に活動した第2イザヤの言葉である。捕囚の苦しみの中で絶望を抱いたイスラエルの人たちは、「我々は神から見捨てられた」とつぶやいた。それに対しイザヤは、「人は誰かのことを忘れてしまうかも知れない。しかし神があなたがたのことを忘れられることはない」と語りかける。信仰の持つ受容/安定機能が最も深く働き、力になるのはこのような危機の時だと思う。
一方新約の箇所はよく知られたイエスの教えだ。空の鳥・野の花を指さしながら、あの鳥や花を養って下さる神さまはあなたがたのことも養って下さる。だから明日のことまで思い煩うなとイエスは教える。イエスがそのように語りかけた相手は、その多くが貧しい民衆であり、日々の思い煩いを抱かずにはいられなかった人たちだ。
しかしイエスはそんな人々に語りかける。「どんなにしんどくても、生きることをあきらめてはいけない。そんな時こそ、今日一日を養って下さる神の愛を信じて生きよう」と。マタイ10:29ではこのようにも語られる。「一羽のスズメにさえ神は目をとめておられる。だから恐れるな、あなたがたはたくさんのスズメよりもはるかにまさっている」。
「誰も私のことを認めてくれない」…そのような絶望の沼の底に沈むことほど辛いことはない。しかし世界中の人があなたを忘れても、神さまはあなたを忘れない…そのことを信じることができるなら、その信仰の中から明日へ向かう希望が必ずや生まれてくるだろう。
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君を映す 鏡の中 君を褒める歌は無くても
ぼくは褒める 君の知らぬ 君についていくつでも
あのささやかな人生を よくは言わぬ人もいるだろう
あのささやかな人生を ムダとなじる人もいるだろう
でも ぼくは褒める 君の知らぬ 君についていくつでも
(『瞬きもせず』中島みゆき)