『 我ここに立つ、主よ助けたまえ 』

2017年10月29日(日)
ダニエル3:13-18、マルコ13:8-13

今から500年前の1517年10月31日、神聖ローマ帝国(今のドイツ)ヴィッテンベルグ教会の司祭が、ローマカトリック教会のあり方を批判する95ヶ条にも及ぶ問題提起の文章を公表した。ここから「宗教改革」というヨーロッパ全土を揺るがす出来事が始まった。その司祭こそマルチン・ルター、その人である。

当時のローマカトリック教会の権力は絶大なものがあった。世俗の王(皇帝)よりも教会のトップ(教皇)の力の方が強く、皇帝でさえ教会からの破門宣告を恐れるような時代であった(『カノッサの屈辱」)。ルターの前の時代にも教会のあり方を批判した改革者はいたが、異端宣告を受け、ある人は追放され、ある人は処刑された。そのような行為に出ることは、いわば命がけの行為であったのだ。

ルターも教会から「破門威嚇勅書」を送りつけられたが、それを火にくべて焼き捨てた。ローマと訣別の意思表示を示す、過激な行動である。ヴォルムス帝国議会において、自説の撤回を迫られた時、ルターはこう言い放った。「教会も教皇も間違いを犯す。私は聖書の言葉によって間違いを指摘されない限り、自説を撤回するつもりはない。」そして最後にこう述べたという。「我ここに立つ。他になしあたわず。神よ、われを助けたまえ。」

帝国議会によって公民権停止の状態に処せられたルター。しかし彼の危機を救った人がいる。ザクセン地方の有力者、フリードリッヒ3世という人物である。彼も教会の横暴には不満を抱いており、ルターの「95ヶ条」を読んで共感し、教会の権威に楯突く勇気ある男を支援しようとルターをかくまった。当時開発された印刷技術により、ルターの主張は瞬く間に広まっていたのである。

ルターの宗教改革から、私たちは何を学ぶのか。多岐にわたるが、今日はルターが強大な権力を持つ教会を相手に、「我ここに立つ!」と命がけで叫んだ姿に注目したい。

ダニエル書にはバビロン捕囚の屈辱の中で、バビロン王の命令に従わず、金の像を拝まなかった若者の姿が記されている。王の命令に背けば火刑に処せられるが、きっと神さまは助けて下さる…しかし、たとえそうでなくても神さま以外の存在を拝むことはできない!そう宣言する若者たち。ルターの心情と重なるものを感じる。

イエスは、「世の権力者によって捕らえられ法院で証しをさせられることになっても恐れるな」と教えられる。その時何を語るかは聖霊が示して下さる、と。

ダニエルもイエスもルターも、何の不安も恐れもなかったのだろうか。あったに違いないと思う。しかしそれでも彼らは日和ることなく行動した。それは神のまなざしを感じていたから、そして聖書の言葉に支えられていたからに他ならない。

戦争の足音が聞こえて来そうな日本の現状がある。そんな中を生きる私たち。「我ここに立つ」という信仰から大切な歩みを学びたい。