2018年8月26日(日)
ルカによる福音書10:25-37
8/13-14に行なわれたシニア科キャンプで、今年はみんなで映画を見て話し合った。『ペイ・フォワード』というアメリカ映画である。
アルコール依存症の母とDVの父の息子・トレバー。中学の社会科の先生(シモネット)から出された「自分の手で世界を変えるには、どんな方法があるか?」という宿題に対して、ひとつの方法を考える。それが「ペイ・フォワード」。自分が受けた親切を当人にお礼をする(ペイ・バック)ではなく、別の3人の人に渡していく(ペイ・フォワード)、その循環を生み出せば世界は変わると考えた。
たまたま知り合ったホームレスの男、いじめられている同級生、そしてシモネット先生に「ペイ・フォワード」を行おうとするトレバー。しかしなかなかうまくいかず、「失敗だったかもしれない」と落ち込む。けれども、トレバーの知らないところで「ペイ・フォワード」の連鎖は次々と生まれ始めていた…。
私たちは、多かれ少なかれ損得勘定を考えて行動している。それは必ずしも悪いことではなく、仕事をする上では必要なことでもある。しかし一方、自分の利益だけを求める生き方には淋しい気持ちを抱く。そんな中で見返りを求めない行動が重要なものとして立ち上がる。そんな生き方を指し示すイエスの教えが「サマリア人のたとえ」である。
旅の途中で追いはぎに襲われ、大けがをして倒れている旅人。しかしそこを通りかかった祭司やレビ人は、見て見ぬふりをして通り過ぎる。普段「神の愛」を説いている宗教指導者は、いざというときに冷たい。しかし、サマリア人は旅人の近くに歩み寄り、助けた。
M.L.キング牧師はこの箇所について、「祭司やレビ人は『この人を助けたら自分がどうなるか』を考えた。しかしサマリア人は『この人を助けなかったら、この人はどうなるか』と考えた。」と説教した。イエスはこのたとえを通して、「私の隣人とは誰か?」という意識を、「私は誰の隣人となることができるか」という生き方へ変えることを示されたのだ。「あなたも行って同じようにしなさい」と。
私の職場である学校では、生徒たちの様々な相談に乗るのが日常である。感じるのは人と人との関係が薄くなっていること。SNSやスマホの影響で人と人が簡単につながる。しかし相手の二面性がすぐに露わになり、人が信頼できず簡単につながりが切れてしまう。そんな彼らに、もっとあがいて悩んで、たとえ見返りがなくてもつながり続けることの大切さを呼びかけている。
松岡修造は「温泉は見返りを求めない。でも温かさをくれる。本当のやさしさは温泉のようなものだ」と語っていた。温泉に入った人の笑顔こそが最高の見返りである。私たちも小さなことからでも、「ペイ・フォワード」を始めよう。