『「ちがい」は神さまからの贈り物 』

2018年10月21日(日) CS合同礼拝
Ⅰコリント12:12-27

世の中にはいろんな人がいます。背の高い人、低い人。身体の大きな人、細い人。肌の色、髪の毛の色や量、こどもからお年寄り、障がいのある人、ない人… 姿形ばかりでなく、心の中も考えれば、さらに違いはいろいろです。その「違い」を、排除する理由にしないで、認め合い受け入れ合って共に生きていきなさい… それがイエスさまや聖書の教えです。

しかしその「違い」を押しつぶしてしまう言葉があります。「あたりまえ」。この言葉が「違い」を認めずに押しつぶしてしまうことがあるのです。どんな風に?たとえば「右利き」「左利き」の人がいます。その人が自分で選んだのではなくて、生まれたらどちらかになっていたのです。ところが数の上では左利きの人が少ない。するとどうなるでしょう?

昔は左利きを右利きに直させられた人もいました。今でも右利きの人向けに作られた社会に合わさせられる場面が出てきます(例:駅の自動改札)。「数が少ない人が多い人に合わせてがまん(自分を変える)するのは『あたりまえ』でしょう!?」こうして「あたりまえ」が違いを押しつぶしてしまうのです。でも、「そういうがまんをしないですむ社会に変えていこう」という考えも少しずつ広まってきています。

新しい沖縄県知事になったデニー玉城さんは、お父さんがアメリカ人(軍人)、お母さんが日本人です。日本で最初の“Mixed Race(混血)”の知事さんになるそうです。お父さんがアメリカに帰る時、お母さんは沖縄に残ることを選び、ひとりでデニーさんを出産し育てようとました。けれども仕事が忙しく生活が大変で、デニーさんは別のお養母さんに引き取られて育てられたそうです。

デニーさんは見た目が人と違うために、時々学校でいじめられました。泣いて家に帰りそのことを話すと、お養母さんはいつも「トゥーヌイービヤ、ユヌタケーネーラン(10本の指で丈<たけ>の同じものはない)」と言って慰めてくれたそうです。「みんな違ってていいんだよ。」という言葉です。デニーさんはその言葉を支えに成長しました。今回の選挙ではそんな自分の経験を語りながら、多様性を大切にし格差や貧困の問題に関わりたいと訴えておられました。

空にかかる虹にはいろんな色があります。同じように人間もひとつの色ではありません。こころ、からだ、みんな違う。その「違い」は神さまからの贈り物、だからみんな大切なひとりひとり…。そんな風に受けとめて共に豊かに生きる道を目指したいですね。

今日の聖書の箇所は、そんな歩みを目指す私たちにとって大切な支えとなる言葉です。「目が手に向かって『お前は要らない』とは言えず、また、頭が足に向かって『お前たちは要らない』とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。」
(Ⅰコリント12:21-22)