『 帰る場所があるから 』

2018年11月4日(日) 召天者記念礼拝
創世記25:7-10,ヘブライ11:13-16

昨年の12月後半から1月初旬にかけての2週間で、教会員が4名続けて天に召された。人間の命はその始めも終わりも自分で決めることはできない。まさに神の定められた時であるのだが、これだけ続いたのは初めての体験であった。

葬儀の度に申し上げることがある。それは私たちの命には終わりがあるということ、そして人間はそのことを認識している唯一の動物であるということである。命の終わりが来るともうその人には会えなくなる。親しく睦び合ったり話をしたりができなくなる。だから悲しみを覚えるし、だから葬儀をするのである。

しかし葬儀を司る中でいつも感じるもう一つの思いがる。それは「ありがたいな、感謝だな」という思いである。その人の生涯があったからこそ存在するいのちや人の出会いがある。そのことを感謝する思いもこみ上げてくる。

悲しい・切ないという思いと、感謝・ありがたいという思いが交錯する… それが葬儀を営む人々の心構えである。そうしてひとりひとりが固有の自分自身の人生を生き、自分の死を死んでいく。永遠に生きる人はどこにもいない。だからこそ、今この時がかけがえなく思えてくるのである。

「死は悲しみ、切ないものだ」と申し上げた。しかし人の命に終わり(死)が定められていることは、「空しいこと・はかないこと」なのだろうか?「そうじゃないよ」という語りかける言葉が聖書から響いて来る。

旧約聖書の族長物語で、イスラエルの父祖たち(アブラハム・イサク・ヤコブ)の死去に際して繰り返される言葉がある。「○○は満ち足りて死に、先祖の列に加えられた」。そこには死に際してじたばたしない、神の定めに従って生きる人の充足感に満ちたたたずまいが感じられる。

ヘブライ書では「自分たちは地上ではよそ者・仮住まいの者」と記される。かつての聖書では「地上では旅人であり寄留者」と訳されていた。この世の人生が「定住の場所」ではない。我々は旅人であり帰る場所があるんだよ… そのように語られているのである。

昨年末、Kさんの最期に近い様子の中で、お見舞いにうかがった際、ご家族に「ご心配でしょう」と語った。その時に返して下さった言葉が忘れられない。「いえ。母は行くべきところ、帰るべきところを知っています。だから大丈夫です。信仰の道に導かれて、本当に感謝です。」

わたしたちには帰る場所がある。「おかえり」と言って迎えてくれる関わりがある。それがどこなのか、どんな場所なのか、どんな姿で行くのか、そのことは分からない。しかしそのことを信じる思いが「死の空しさ」を乗り越えさせてくれるのである。

先日、アイルランド民謡『ダニー・ボーイ』の特集番組を見た。旧讃美歌第2編157番「この世のなみかぜさわぎ」の元曲でもあるのだが、「ダニー・ボーイ」の方は世俗の恋の歌だと思っていた。しかしそうではなかった。それは父(母)が故郷を離れ独り立ちをしてゆく息子(娘)を思う歌であり、歌の最後には死が訪れても経ち切られることのない「つながり」が歌われていた。

死が訪れても無くならないつながり・関わりがある。わたしたちには帰る場所がある。そのことを信じ、すでにそこに帰られた人を覚えて祈りをささげよう。
♪Danny Boy

O Danny boy, the pipes, the pipes are calling
From glen to glen and down the mountainside
The summer’s gone and all the roses falling
‘Tis you, ’tis you must go and I must bide.

ああ私のダニーよ バグパイプの音が呼んでいるよ
谷から谷へ 山の斜面を駆け下りるように
夏は過ぎ去り バラもみんな枯れ落ちる中
おまえは おまえは行ってしまう

But come you back when summer’s in the meadow
Or when the valley’s hushed and white with snow
‘Tis I’ll be here in sunshine or in shadow
O Danny boy, O Danny boy, I love you so.

戻ってきて 夏の草原の中
谷が雪で静かに白く染まるときでもいい
日の光の中、日陰の中、私はここに居るから
ああ私のダニーよ、おまえを心から愛しているよ

But if you come and all the flowers are dying
If I am dead, as dead I well may be,
You’ll come and find the place where I am lying
And kneel and say an Ave there for me.

すべての花が枯れ落ちる中、おまえが帰ってきて
もし私が先に死んでしまっていても
どうか私が眠る場所を探して
ひざまづき、私のために祈りをささげてほしい

And I shall hear, though soft, your tread above me
And all my grave shall warmer, sweeter be
For you will bend and tell me that you love me
And I will sleep in peace until you come to me.

おまえが私の上を静かにそっと歩く足音が聞こえる
私は暖かく心地よい空気に包まれるだろう
おまえが愛してると言ってくれるならば…
私は安らかに眠り続けるよ
おまえが私のもとへが帰って来てくれるその時まで