『 ゆたかに刈り取られるために 』

2018年11月18日(日) CS合同収穫感謝礼拝
ヨハネ福音書12:24-26

群馬に来て、春の麦畑の緑の美しさに驚きました。初夏の収穫の季節を迎えるとこれまた美しい黄金色に光ります。麦の実から「芒(のぎ)」と呼ばれるヒゲのようなものがピーンと飛び出しています。星野富弘さんは「太陽の弓矢」と呼びました。麦の穂が太陽に向かって立っている姿が好きです。「麦」を二番目の娘の名前にしたかったのですが反対されたので、今飼っているネコに「ムギ」という名前をつけました。

麦つぶをすりつぶした粉でパンやケーキ、うどんなどを作ります。日本やアジアの主食は米ですが、ヨーロッパや南北アメリカ、イエスさまの国ユダヤでも、麦が主食です。米や麦といった「穀物」を作る方法を見つけたことは人間の暮らしを大きく変えました。貯蔵の効く穀物を育てることで、「財産」を持つようになったからです。

麦の一生をたどってみましょう。種まきは10月ごろ。芽を出しある程度育ったところで、日本では「麦踏み」をします。せっかく育った麦を踏んでしまうのです。でもこれによって、霜柱によって浮き上がるのを抑えられます。また茎を成長させるホルモンが出るので、強く健康に育つのです。「麦は踏めば踏むほど強くなる」と言われます。

イエスさまは「一粒の麦がもし死ななければ一粒のままである。しかし死ねば豊かに実を結ぶ」と語られました。麦の成長に従って、最初の種ムギは姿が小さくなり、最後は朽ちてしまいます。それによって多くの麦が収穫されるのです。ひとつの命が果てることによって、多くの命が育つのです。

ここにはもうひとつの意味があります。それはイエスさま自身のことです。イエスさまは十字架にかけられて命を奪われました。悪いことをしたのではありません。みんなの救いのために十字架にかかられたのです。「人がその友のために命を捨てること、これよりも大きな愛はない」。その言葉通りの歩みをイエスさまは示されました。

イエスさまの十字架によって多くの人が救われる。それが「一粒の麦が死ねば豊かに実を結ぶ」という言葉の意味なのです。私たちはなかなか命を捨てるまではできませんが、自分のためだけでなく誰かのために生きることが豊かさにつながることをイエスさまから学びたいですね。

最後にひとつの詩を紹介します。

『ライ麦のはなし』 長田 弘

一本のライ麦の話をしよう。
一本のライ麦は、一粒のタネから芽をだして、
日の光と雨と、風にふかれてそだつ。
ライ麦を生き生きとそだてるのは、
土深くのびる根。
一本のライ麦の根は、
ぜんぶをつなげば600キロにもおよび、
根はさらに、1400万本もの細い根に分かれ、
毛根の数というと、
あわせてじつに140億本。
みえない根のおどろくべき力にささえられて、
はじめてたった一本のライ麦がそだつ。
何のために?
ただ、ゆたかに、刈りとられるために。