『 献げる生き方 』

2018年12月30日(日)
マタイによる福音書2:1-11

イエス・キリストの誕生の場所を訪れる東の国の博士たちの場面である。占星術の学者であった彼らは、「ユダヤ人の王」の誕生を告げる不思議な星に導かれて、ベツレヘムの幼な子のもとにたどり着いたという。いろんなポイントがある箇所であるが、今日は彼らの「献げる姿勢」に注目をしてメッセージを受けとめたい。

先週、クリスマスウィークには全世界で多くの人々が「贈り物を献げる行為」に身を委ねた。このことについて内田樹さんは「匿名の贈与者からの代償を求めない贈与という、人類学的な叡智をたたえた宗教儀礼だからこそ、世界中の人々が実践しているのだと思う」と語っておられた。贈り物を贈る行為、献げる心こそ、人間にとって大切なものの一つであるという指摘である。

私たちの日常生活の中心にある考え方は「等価交換」である。物々交換の時代から貨幣を媒介にした交換の時代に至るまで、等価交換こそ公平・平等な経済活動だと思って私たちはそのルールに従っている。しかし人類の歴史をもっと深く掘り下げると、違う視点が浮かび上がる。「交換」ではなく「贈与」こそ人間を人間たらしめている行動だという考え方だ。

等価交換は公平・平等なように思えるが、そのルールを徹底すると「働かざる者食うべからず」というところに行きつく。それは自然界のルールでもあるが、人類はその自然界のルールに抗う形で進化を遂げてきたというのだ。

私たち人類の直系の祖先ホモ・サピエンスは、同じ時代に登場したネアンデルタール人よりも身体的にも知能的にも能力が劣っていた。にもかかわらずネアンデルタールは滅び、ホモ・サピエンスは生き延びた。その分かれ目はライフスタイルなのだそうだ。

弱い種であったホモ・サピエンスは、その欠点を補うべく道具(狩猟用具、舟、針と糸)を開発した。また家族や共同体で助け合って生きていた。強い者は弱い者に必要なものを与えていた。だからこそ過酷な環境の中でも絶滅することなく生き残れたというのだ。「贈与」こそが人類の起源であるという由来である。

ところが時代が進むと共に、やがて人間は財産を持ち、欲得に心を支配され、貧富の差を良しとしてしまうようになってしまった。そんな人々に「与えること、献げること」の大切さを教えられたのイエス・キリストである。「受けるよりは与える方が幸いである」(使徒20:35)という言葉がその教えと生き様を象徴している。

その「世に来られた救い主」に真っ先に出会った博士たちの姿が象徴するもの、それは「献げる生き方」である。それはイエスに出会って「献げる生き方」へと作り変えられ、人間本来の姿に立ち返る豊かさへと導かれた人の姿である。