2019年3月3日(日)
イザヤ41:8-16,ルカ9:10-17(3月3日)
聖餐式の起源とされているのは、イエスと弟子たちとの「最後の晩餐」である。それはユダヤ人にとって大切な祭りである「過越しの祭」の儀式的な祝宴でもあった。
その食事の席でイエスはパンを取り、祝福して裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。わたしの身体である」。盃も同じように回して言われた。「これを飲みなさい。多くの人のために流されるわたしの契約の血である」。これは教会の聖餐式の度ごとに語られる「制定のことば」である。ここから教会の聖餐式が始まったというわけである。
この食事の席には後にイエスを裏切るユダもいた。イエスのことを3度にわたって「あんな人、知らない」と拒んだペトロもいた。誰が主の晩餐にふさわしいかと問えば、とてもふさわしいとは思えない人たちと、イエスはそれでも共に食卓を囲まれた。
イザヤを通して語られた「虫けらのようなヤコブ(イスラエル)を、わたしは決して見捨てない」という神の言葉。それをまさしく体感できる交わり… 和解と赦しの食卓がそこにあった。この出来事が弟子たちの心に残り、初代教会における「主の晩餐」(聖餐式の原型)が始まったのだろう。
ところで、「主の晩餐」が行なわれるようになったいきさつは、最後の晩餐だけがその唯一の起源なのだろうか?他にも数々の食卓にまつわるイエスの思い出があり、それらもまた「主の晩餐」のルーツとなる出来事だったのではないだろうか。
福音書には実にさまざまな人々と共に食卓を囲むイエスの姿が記される。当時のユダヤ教エリートたちは仲間内とでしか共に食事をすることがなかった。しかしイエスは、彼らが「汚れている」と称して決して交わろうとしなかった人たち(徴税人、遊女、重い皮膚病人、身体の不自由な人)と、進んで食卓を共にされた。いわば食に関するタブーを破られたのだ。
貧しい人や差別を受けていた人たちばかりではない。金持ちとも一緒に食事をしている(例:ザアカイ)。どんな人とでも神に与えられたいのちを喜ぶ交わり…。それがイエスにとって「食事を共にする」という行為であった。
今日の聖書の箇所は「五千人の共食」の場面である。イエスの元を訪れた五千人の人々(女性・子どもを入れたら1万人以上?)と、イエスは5つのパンと2匹の魚を分かち合い、すべての人が満足した。みんなの者が共にパンを分かち合い、満たされたのだ。
こういった様々な食卓についての思い出も、弟子たちの心に深く残り、それが「主の晩餐」へとつながっていったのではないだろうか。そこに集まった人たちと共にパンを(盃を)分かち合う。その「分かち合う交わり」の中に、イエスも共におられる、と。
東日本大震災直後、仙台市・荒浜にボランティアに行った時のことが忘れられない。出かける前にボランティアの基地でレクチャーを受けた。「救援物資の食料は、被災者のいのちをつなぐものです。ボランティアはそれを奪ってはいけません。飲み物や食料は各自で調達して行って下さい。」出かけた先は津波が押し寄せた田園地帯にかろうじて流されずに残った一軒の農家。被災者でもあるご家族の方々とヘドロやガレキの片づけをした。午前中の作業が終わりお昼時になったので、我々ボランティアは少し離れたところで持参した弁当を食べようとした。するとその家の人たちが手招きして、救援物資のおにぎりを差し出された。「これはもらうわけにはいきません」と恐縮する我々に「一緒に食べよう。それもボランティアだべ!」と言って分かち合って下さった。
何のかざりも、具も入っていない塩味だけのおにぎり。しかしそのおにぎりは今まで食べたことがないような味がした。自分たちのいのちを支える大切なおにぎりを、見ず知らずのボランティアたちと分かち合って下さる方々。キリスト教とは恐らく何のゆかりもないであろう農家の人たちから、イエスが示された「共に分かち合う豊かさ」を教えていただいたような思いがした。「いま、ここに、イエスも共におられる!」と、強く強く感じた。
教会の聖餐式では「この交わりを通して、キリストはわたしたちに親しく臨んでおられます。」と語られる。ではイエスは具体的に、どこにおられるのだろうか?あのサイコロ状に切られたパンと小さなグラスのぶどうジュースの中におられるのか?そうではなく、「共にパンを分かち合う」その中にイエスはおられるのではないだろうか。