『 ずっと言えなかったんだ 』

2020年2月16日 CS合同礼拝
ヨハネによる福音書5:1-9a

今日の聖書の物語は、エルサレム神殿の近くにある「ベトザタの池」での出来事です。池の周りには病気の人や身体の不自由な人がたくさん来ていました。人々の言い伝えで「池の水を天使が動かす時、最初に水の中に入った人は癒される」と言われていたからです。

その中に38年間待ち続けていた人がいました。38年間!イエスさまが生まれる前からです。その間ずっと待っていたのに、いつも先を越されてしまって癒されなかったのです。「誰も私を手伝ってくれない。誰もこの苦しみを分かってくれない…」そんな思いで絶望的になっていたことでしょう。

イエスさまはその人に目をとめ、そして「治りたいのか?」と声をかけられました。その人は「誰も手伝ってくれないんです」と38年間の苦しみを訴えました。「ずっと言えなかったんです」。イエスさまはその人に「立ち上がりなさい、歩きなさい。」と言われました。するとその人は立ち上がって歩き出したのです。

何が起こったのでしょう?イエスさまの不思議な力(超能力)で奇跡が起こったのでしょうか?それは分かりませんが、ひとつ確かなことがあります。イエスさまはこの人に声をかけられたということです。38年間ずっと顧みられなかったその人の孤独に向かって、呼びかけ受け入れられたということです。その時、癒しが起こるのです。

僕の小学生の時の友だちの話です。いつもよく遊んでいて、時々一緒にごはんも食べました。キャッチボールをして遊びました。友だちは右手でボールを投げていました。ごはんを食べる時も右手でおはしを持っていました。

ところがある日、「ぼくはほんとは左利きなんだ」と言ったのです。だけど「みんなと一緒じゃないと困るから。不便だから。」ということで、お家の人から右手を使うように言われてたのです。自分で望んで左利きになったんじゃない。生まれたらそうだった。でもそのことが「いけないこと」のように思えて「つらかった」と言ってました。けれども「ずっと言えなかった」そのことをみんなに話してからは、左手でボールを投げ、おはしを持つようになりました。本当の自分を取り戻した友だちは、とてもうれしそうでした。

大学生の時、親友のTくんの下宿に行くと、そこにSくんという人がいました。Tくんの友だちで僕は初めて会ったのだけど、3人で一緒にごはんを食べ、夜遅くまでずーっと話をして仲良くなりました。いろんな話をしました。野球のこと、高校時代のこと、好きな女優さんのこと…そのうちTくんは先に寝てしまったんだけど、僕とSくんはさらにお話を続けました。僕が大学の神学部の学生で教会に行ってること、イエスさまのことなんかも話しました。

するとSくんは「川上さんなら言ってもいいかな…」と言って、あることを打ち明けました。「ぼくなぁ…実は部落出身やねん」。部落差別(生まれた場所や職業による差別)を受ける中で育ってきて、そのことをあんまり人に言いたくないと思ってきた。家族以外には話せなかったそのつらい思いを、僕には話してくれたんです。

初めて会ったのに、どうしてそのことを話してくれたんだろう?と思いました。僕が立派だったからではないと思います。イエスさまを信じている(信じようとしている)「そんなあなたなら分かってくれる」そう思って話してくれたのだと思います。

あなたの周りにもつらい思いを抱えている人がいるかも知れません。あなたの心の中にも誰にも言えないつらい思いがあるかも知れません。「誰もこの思いを分かってくれない」と思うと、気持ちが沈んでしまいます。でもずっと言えなかったその思いを、イエスさまは聞いてくれる。分かってくれる。受けとめてくれる。そう信じるだけで、生きる力が沸いてくるのです。そう信じて、生きる力を育てていきましょう。

♪ ♪ ♪
この世界に 生まれて
かかえてきた この思い
考えるたびに 切なくて
気付かない ふりしてた

ずっと言えなかったんだ
やるせないこの思いを
ずっと言えなかったんだ
神さま 助けて!

ずっと言えなかったんだ
人の目が怖くって
ずっと言えなかったんだ
隠してたこの気持ちに
誰かが寄り添ってくれるその日が来るまで
イエスさまのような人にきっと出会えるから
生きていくんだ 生きていくんだ

(斎藤和義「ずっと好きだったんだ」の替え歌)