『 あなたが、あの時… 』

2020年7月5日(日)
ヨハネ4:34-38

NBAプレイヤーの八村塁選手が、TVのCMの中で、中学生の自分に向かって語りかけるシーンがある。「ありがとう、バスケやめんでくれて…」技術も未熟な中学時代、それでもあきらめずに続けてくれたかつての自分…その姿があったから、夢をかなえた今がある。そのことを時空を超えて感謝をする、印象的なCMだ。

私たちが何かの成果や収穫を得るとき、そのことを最初に始めた人がいる…そのことに思いを向けられる人は幸いだ。謙虚さを学び、感謝の心を持つことができるからである。最初の取り組みから成果に至るにはいろんな時間の幅がある。林業では何世代も前の人の努力を伐り取ることになる。この数十年・数百年の時を待つことができるには、人間の成熟が必要だ。

現代社会は、この成熟を忘れかけているのではないか。何でも「早く、早く」と結果を求め、ムダをなくそうとする。しかしそうすることによって、何か大切なものを置き忘れてしまってはいないだろうか。

「一人の人が種をまき、別の人が刈り入れる」イエスの引用された、当時のことわざである。勘どころは、種をまいた人と刈り入れる人が「違う」ということである。自分が始めたことの成果を、だれか別人が恩恵としてあずかっている… 私たちはそれを素直に喜べるだろうか?

けれども「それと同じことをあなたがたはしてるのだ」とイエスは言われる。神の国の福音を宣べ伝える働き。そのために労苦した人がいて、そして今イエスの弟子たちが刈り取ろうとしている。「刈り取る」とは、ひとりの信仰者の誕生に立ち会うということだ。喜びあふれるその体験を持つことができるのは、弟子たち自身の努力によるのではなく、種をまき続けた人がいたからなのだ。

人間はさもしい心を持つ生き物である。自分が関わったこと・苦労したことの結果は、自分で確かめたい、評価されたい、という気持ちを抱いてしまう。しかしイエスは教えられる。「種まく人も、刈る人も、共に喜びなさい」と。

自分がいまこの収穫にあずかれるのは、先行世代の人の働きがあるからだ…そう受けとめて感謝する。そして自分もまた、次なる世代のために種をまく労力を惜しまず、後代の人が収穫にあずかることを喜べる人になる。そうやって世代を超えた労力と成果が受け継がれていく中で、人間の成熟が育てられていくのだ。

6月23日・沖縄慰霊の日、今年も行なわれたの戦没者追悼式で、ひとりの女子高生が詩を朗読された。「あなたが、あの時…」という短いフレーズを何度も使いながら、かつての激戦地を生き延びてきた人々への感謝を語り、未来の平和への決意と希望を語られた。沖縄の人々の間に、世代を超えて受け継がれる平和への思いを感じた。

「あなたが、あの時」…私たちの人生の歩みにもそんな物語がある。そのことを感謝し、自分もまたそのような形で未来に関わることを大切に目指したい。