『 だからハッピークリスマス 』

2020年12月20日(日) クリスマス礼拝
マタイ福音書1:18-25

高校時代、親友の家に遊びに行った時、同席していた大学生のお兄さんが僕らにジョン・レノンの“Happy X’mas”を聞かせて「これは素晴らしい歌だ。世界で一番のクリスマスソングだ!」と力説していた。当時の私は「確かに悪い曲ではないが、そこまで言うほどか!?」と受けとめていた。ただ「メリー・クリスマス、ハッピー・クリスマス」と繰り返してるだけの曲だと感じたからだ。

その後、歌詞を訳してみて、またジョンがこの歌を作った背景を知って、そのお兄さんの謂わんとするところを理解した。1番はお気楽なクリスマスソングだが、2番の歌詞では格差問題、人種問題、戦争と平和の問題が歌われていた。そしてその背後に“War is over, if you want it(あなたが望めば戦争は終わる)”といったコーラスが繰り返されていた。

発表当時、アメリカはベトナム戦争の末期。ジョンはこの歌を通して、平和へのメッセージを発していたのだ。「クリスマスは誰もがハッピーな気分になる…でも浮かれ切ってしまわずに、現実の問題に目を向けよう」ジョン・レノンはそんなことを問いかけているように思う。

イエス・キリストの誕生物語にも、私たちがクリスマスに対して抱く「ハッピーさ」とは異質の、ひとつの問題が横たわっている。マリアが幼な子を身ごもったのは、ヨセフと結婚する前であった。律法の規定を厳しく当てはめれば、マリアは「姦淫の罪」、石打ちの刑(死刑)にされていたかも知れないのだ。

そのような問題ある状況の中で、ヨセフは一旦はマリアを離縁しようとする。しかし夢のお告げを受けて思い直し、マリアを受け入れるのである。「問題があるなら切り捨ててしまえ!」ではなく、「問題があるのに見ないふりして…」でもない。問題がある状況の中で幼な子を迎え、家族を作るのである。問題をしっかり見つめ、それを引き受けながら、生まれた幼な子を喜び迎え、育てていく…それが世の救い主の誕生物語なのである。

私たちの生きる世界に、何も問題がない状況など、これまで一度たりとも訪れたことはなかった。もちろん問題はない方がいい。問題に気付けばそれを解決しようと努めるのは大切なことだ。しかしそれでも問題は残る。「何も問題などない」とうそぶき、その問題から目をそらせてはならないと思う。

しかし、だからといってその問題の中に沈み込み、絶望の淵に崩れ落ちる必要はない。問題に満ちた世を、それでも神が見放さずに救い主を遣わして下さった、その喜びを知っているからだ。マリアとヨセフの元に生まれた幼な子は、決して人々を打つ向かせるために生まれたのではない。「いま泣いている人たちは幸いである。あなたがたは笑うようになる。」と言われたイエスは、神の導きの下ですべての人がハッピーになれる日が来ることを告げ知らせるために、この世に来られたのである。

問題があるこの世界。「だからこそ、ハッピー・クリスマス!」心から感謝してそう迎えよう。世の問題から目をそらさず、問題と取り組み、あるいは引き受けながら、その問題のただ中に本当の幸せが訪れることを願いつつ、“Happy X’mas”と歌おう。

♪ Happy X’mas (作/ジョン・レノン 日本語詞/川上盾)

今年のクリスマス
あなたは 何を願い 過ごすのでしょう
今年のクリスマス
あなたにとって よき一日でありますように
だから Merry Christmas, and A Happy new year
恐れのない よき日々を

意地のはり合い 憎しみ合い
殺し合いは もうやめようよ
黒人も白人も 金持ちも貧乏人も
おとなもこどもも みんな同じ人間だから
だから Merry Christmas, and A Happy new year
恐れのない よき日々を

今年のクリスマス 何かを変えよう
悲しみや苦しみを もたらす何かを
今年のクリスマス 何かを始めよう
素晴らしい明日に つながる何かを
A very merry Christmas, and A Happy new year
Let’s hope it’s a good one, without any fear

War is over, if you want it, war is over, now
あなたが 望めば いくさは 終わるよ