2021年6月13日(日)
(こどもの日・花の日CS合同礼拝)
マタイによる福音書5:13-16
今日はこどもと大人合同礼拝です。集まることはできなくても、様々な形で共に礼拝を守れることに感謝。今できることを大切にしていきましょう。
「地の塩・世の光」わたしたちが何度も読んできた聖書の箇所です。神様はわたしたちを「地の塩・世の光」として大切にしてくださいます。塩はわたしたちの生活に欠かせないもの。同じように光もわたしたちの生活に欠かせないもの。真っ暗な世界を明るく照らしてくれるもの。それは太陽だったり月だったり、ろうそくの光だったり、今の時代ではさまざまな照明器具が私たちの生活を明るくしてくれます。真っ暗な闇の中、小さな光が一つあるだけで、私たちはほっとできるのです。
太陽はじぶんの力で光り輝いています。この世界を明るく照らし、温めてくれます。私は若いころ、太陽のように自分の力で輝きたいと願っていました。誰の力も借りず、自分自身の力で生きていくこと、それがかっこいいと思っていました。しかし、あるとき自分の力だけで生きるなどということは到底できず、たくさんの人たちの力を借りて、たくさんの人たちに支えられて、そして神さまの御手の上で生かされていることに気づきました。その気づきの後からは、月のように生きていくのも素敵だなと思うようになりました。
月は太陽の光に照らされて美しく輝きます。太陽のように輝く神さまの光を浴びて、神さまの光に照らされて、月のように輝くことを求めるようになりました。夜の暗さの中に、そっと明るさをくれる月のように、私も人々をそっと照らすことのできる人間になりたいと思っています。そしてろうそくのように輝くことも、とても素敵な輝き方だと思うのです。
『これもさんびか』の存在を知り、その中の「しお・せっけん・ろうそく」という曲を知ったとき、ろうそくの生き方を深く考えさせられました。「♪ろうそくは自分を溶かして、みんなを明るく見せるのさ。そんな素敵な生き方、わたしもまねてみたい♪」ろうそくはまるで、自分の命を削りながら、私たちに生き方を示してくださったイエス様のように見えます。そんな人に私もなりたい、自分の身を削っても、周りを明るく照らすことのできるような人になりたい、母親になって15年、そんな風に思うようになりました。
人それぞれ、いろいろな輝き方がある。自分自身の力で輝く人、明るく輝く人に照らされて輝く人、自分の身を削りながら人を照らすために輝く人、そのすべてが、神様によって明るく輝く光であると思うのです。
今日はこどもの日、花の日。こどもたちはそこにいるだけで光り輝く存在です。そして花は私たちの人生の様々な場面で慰めになり、励ましになり、喜びにもなるのです。
塩のように味のある生き方、光のように輝く生き方、そして花のようにそっと誰かの思いに寄り添える生き方、そんな生き方ができる人間になりたい。神様を見つめながら、今日からの歩みも進めていきたいですね。