『主に対してするように』 楠元伝道師

2021年8月15日(日)
創世記24:62-67, コロサイ3:18-4:1

76年前の今日、長く続いた苦しみと悲しみの日々である戦争が終わった。2021年の今も、まだ「戦後」という時代を生きていられることは幸せなことだ。もしかしたら、愚かな私たちは、また同じ過ちを繰り返して、世界が滅んでしまうような戦争を今までの間に始めてしまっていたかもしれない。しかし各地では戦争はなくなってはいない。戦争は「今」も壊すが、「未来」も奪い取る。子どもたちが安心して、夢を持つことができる世界になるように、世界中の人々が安心して暮らせる世の中の実現を願う。

終戦の日に家族について考える。教会に集う私たちはイエスによって結ばれた神の家族である。一番身近にあり大切にするべき存在を私たちはないがしろにしていないか。「世界平和のためにできることは家族を大切にすることである」というマザー・テレサの言葉を改めて心の中に置きたいと思う。

聖書日課は旧約新約共に家族の話。コロサイ書では家族にあり方について語られているが、今の時代には合わないところもあるので、言葉をそのまま受け入れるのは無理かもしれない。しかし大切なことが語られている。「妻たちよ、主を信じる者にふさわしく、夫に仕えなさい。」夫たちよ、妻を愛しなさい。つらく当たってはならない。」大切なのは「主を信じる者にふさわしく。」夫の言いなりに仕えるのではなく主に仕えるように夫に仕えるように。そして夫たちには自分勝手に妻を扱うのではなく「主を愛するように」妻を愛するようにと勧めている。

「子供たち、どんなことについても両親に従いなさい。それは主に喜ばれることです。」両親に従うというのも、日本の封建時代のように、親中心の考え方ではない。両親が間違ったことをすれば、子が正し、言いなりになることを求めてはいない。親は祈りつつ神に委ねながら子を育てることが大切である。

奴隷たちに対してもうわべだけでなく真心を込めて主に仕えるように主人に仕えるようにと勧めている。奴隷の存在が社会を支えていた時代。主人たちに対しては、「奴隷を正しく、公平に扱いなさい。知ってのとおり、あなたがたにも主人が天におられるのです」と勧めている。主人たちが奴隷を、「正しく、公平に扱う」のは、彼らを平等に取り扱うということではなく、主人自身が神の前に「等しい者(同じ人間)」として立つことであるということ。この原則は、現代の雇用者にも当てはめることができるだろう。

夫も妻も、親と子も、雇用者と労働者も、神の愛と知恵を必要としている。「主にあって」生きる必要がある。「主に仕えるように」お互いに仕えあうことができるように。

旧約のイサクの結婚の話。アブラハムの僕によって見いだされイサクの嫁となったリベカ。二人には双子が与えられるが、父イサクは兄エサウを、母リベカは弟ヤコブを愛するようになり、結果として兄弟は断絶する。最終的には和解するが、兄弟断絶にはやはり家庭環境が大きく影響している。人間関係の一番基本となるところはやはり家族関係である。

私たちはまず自分の家族を大切にしよう。ぶつかり、嫌な思いをすることもあるが、誰よりも大切に「主に仕えるように」互いに仕え合うことができるようにと願う。そして家庭の小さな平和から世界平和への輪を広げていこう。子どもたちの未来のために。

(讃美歌371番)