2022年6月26日(日)
サムエル上16:14-23 使徒16:16-24
今日の聖書は旧約も新約も悪霊に関する箇所である。悪霊とはオカルト映画のような話ではなく、人間に災いをもたらすものとして聖書では身近に感じられていた。
旧約はイスラエル初代の王・サウルが悪霊に悩まされるお話。自らの力を過信し傲慢になると「主から来る悪霊」がサウルを悩ませた。悪霊も神の創造物ということか。
臣下の者から竪琴の名手を呼べばいいと進言され、探し当てたのがダビデであった。後の二代目の王だがこの時点ではまだ少年であった。
ダビデが竪琴を弾くと王の気分は良くなった。喜んだサウルはダビデを取り立てた。この後ダビデは世街道まっしぐら、めでたしめでたし…と思いきや、そうはうまくは進まなかった。ダビデの優れた働きを見て、サウルが次第に妬みを抱くようになり、ついにサウルの元を負われてしまうのだ。
「悪霊を追い出す者」がいつも喜ばれるとは限らない。イエスも悪霊を追い出す働きをしておられたが、そのことで「自分たちの所から出て行ってほしい」と言われたことがある。悪霊を追い出す働きは人々を大きくゆり動かし、社会を変革する。するとそのような変化を人々は歓迎するどころか、むしろそれを拒んだのである。
新約は、パウロとバルナバによって悪霊が追い出された出来事。「占いの霊に取り憑かれた女奴隷」が、二人の働きかけによって癒された。すると彼女の主人はパウロたちを捕らえて当局に訴えた。「社会を混乱させる者です」というのがその理由だった。
「悪霊を追い出す者」とは、そこに変革をもたらし、社会を大きく作り変える人である。そのことで世界は暮らしやすくなるはずなのに、なぜが人々はその変化を嫌い、悪霊を追い出す者を疎んじる…不思議なことだが、人間にはそういうところがある。イエスやパウロたちの働きが喜ばれずに、むしろ追放・弾圧されたのも、そんな人間の心理によるものだろう。
しかし「それでもなお、このことは必要だ!」イエスはそう決断し、悪霊を追い出す働きを続けられた。それが対立を生み、十字架に架けられることになろうとも、その業を貫かれた。使徒たちもそれを大切な宣教の働きとして受け継いだ。使徒たちだけでなく、歴代の信徒たちも。
ルターは腐敗した教会の姿を糺そうとした。ガリレオは科学の力で迷信を打ち破った。キング牧師は祈りと歌の力で差別と闘った。いずれもその時代における「悪霊を追い出す働き」である。時代はその働きを歓迎しなかった。しかしその働きによって、社会は変革され、世界は暮らしやすくなったのだ。
現代における悪霊の仕業とは何か?それは例えば民族差別、戦争、環境破壊…人間を、そして神の造られた世界を軽んじることである。それらを変革する働きが、必ずしも歓迎されないこともある。しかし神の聖霊の導きは、その悪霊を追い出し、世界を新しくされる。