2022年7月10日(日)
(創立記念日・部落解放祈りの日)
使徒言行録13:16-25
創立記念日にはオリジナル賛美歌「いのりの家」を歌ってきた。ここ2年はコロナ状況によって歌うことができなかったが、今年3年ぶりに皆さんと共に歌うことがでた。赤城・榛名の山々と利根川の水が歌われるこの歌は、前橋教会ならではのオリジナルソングである。
その創立記念日に与えられた聖書の箇所は、ピシディアのアンティオキアにおけるパウロの説教デビューの場面である。初対面の人々、これから関係を結ぼうとしている人々を相手に、パウロは何を語ったのか。それは大きく分けて次の3つのことであった。
ひとつめは出エジプトの物語。その昔イスラエルの民がエジプトで奴隷の苦しみにあった時、神がモーセを遣わし救い出して下さった。「海の奇跡」が有名だ。「神は我々の祖先を奴隷の苦しみから救い出して下さった…」このことはイスラエルの信仰の原点となる出来事だ。
ふたつめはダビデのこと。救われた民がたどり着いた「約束の地」で新たな国を作り始める。その国の王として神に選ばれたのがダビデだ。武勲に優れ、音楽(琴)にも文学(詩編)にも有能な、理想的な人物だった。このダビデの時代に、イスラエルはもっとも繁栄した時代を迎える。しかしその後衰退の時代を迎えるイスラエル。いつしか人々の間には「この窮状を救ってくれる救い主=メシヤが、ダビデの子孫から現れる」という信仰が生まれていた。
みっつめがイエス・キリストのこと。神が人々を救うメシヤとして、ダビデの家系からイエスがお生まれになったことを語るのである。パウロが一番語りたかったのはイエスのことだ。しかしそのことを伝えるために、パウロはまずイスラエルにおける神の救いの出来事から語り始める。「いま・ここ」のことだけでなく、過去の大いなる歴史とのつながりの中で今を考えるということだ。
それは過去の栄光にすがり、「あの栄光の輝きをもう一度!」ということではない。過去の救いの出来事を想い起すことが、今の苦難を耐え忍ぶ力を与えてくれる…そういう振り返り方のことである。創立記念の日にあたり、私たちもそのような思いで歴史を振り返る者でありたい。
今日は「部落解放祈りの日」でもある。教団部落解放センターの設置が決められた日にちなんで、毎年7月第2主日を「祈りの日」として定めた。今年は日本最初の人権宣言である水平社宣言から百周年の年に当たる。しかしそれは「百周年おめでとう」ということではないだろう。百年たってまだ差別を克服できていないことを、私たちは心して受けとめなければならない。
ところで、水平社が差別撤廃運動のシンボルマークにしたのは、荊冠である。イエスの受難を象徴する荊冠は、教会にとっては神の救いの象徴でもある。この逆説を、水平社宣言も受け継いでいる。「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と結ばれる日本最初の人権宣言、それもまた「神の救いの歴史」に連なるものだと思う。