2022年11月20日(日) CS合同収穫感謝礼拝
マルコ4:30-32
2年9ヶ月ぶりのCS合同礼拝です。やっぱりこどもとおとなの歌声が、礼拝堂に響くのはいいなぁ~と心から思います。CS礼拝の祝祷の時にいつも言ってる「わたしたちは神の家族です」ということを実感できます。
その「家族」が共に集えない日々が3年近く続きました。いっしょに歌えない、いっしょにご飯を食べられない…教会から希望や喜びがどんどん小さくなっていくような気がして、その日々のことは今思い出しても心がつらくなります。まだ「いっしょにごはん」はできないけど、こうしていっしょに歌い礼拝をささげられることはとてもうれしいこと、感謝すべきことだと思います。
今日の聖書の言葉は、イエスさまの「からし種のたとえ」です。神の国はからし種のようなものだ…イエスさまはそう言われるのです。
からし種を見たことがありますか?前橋教会の入口に生えている背の高い細い木、あれがからし種です。実はこれは「木」ではなくて、種類で分けると「草」の仲間なのだそうです。一年で教会の屋根に届くほど大きくなる草です。
その「からし種」の「たね」は、小さな小さな「仁丹」のようなつぶです。その小さな種が、成長すると教会の屋根に届くまで大きくなるのです。「神の国とはそういうものなのだよ。」とイエスさまは言われるのです。
「そんなに大きくなるなんてスゴイ!」ということでしょうか?大きいこと、強いこと、カッコいいことが「いいこと」なのでしょうか?そうではなくて「最初は小さいんだよ…神の国とはそういう小さなところから始まるんだよ…神さまの力は小さいところに働くんだよ…」イエスさまはそう教えられたのだと思います。
実はこのからし種、イエスさまの時代のお百姓さんにとっては、あんまりうれしいものではなかったみたいなんです。種がこぼれるとそこから成長し、あっという間に大きくなって他の作物の邪魔をする…。「あー今年もからし種の季節が来たぞ。やっかいものが現れた!」そんな風にイヤがられていた「雑草」なのです。でも、そんなイヤがられたものの中に、イエスさまは神の国の始まりを見ておられたんですね。
みんなから好かれ、みんながあこがれる「きれいなもの・大きくて強いもの」…そういうところには神さまの力は働かない、神の国は始まらない…。みんなからイヤがられて、最初は小っちゃくて「取るに足らない」と思われていたもの…あのからし種の「たね」のようなものの中に、神さまの力は働き、そこから神の国が始まるのです。
コロナ状況によって、私たちの喜びや希望は小っちゃくなってしまいました。でも心配はありません。神の国は小さなところから始まる…小さな喜びや希望の中に神さまの導きは与えられる…イエスさまがそう教えておられるからです。コロナがあり、戦争があり、私たちの不安はふくらみます。でも小さな喜びや希望を失わない限り、そこに神さまの力が働く…そのことを信じて歩みましょう。