2023年1月29日(日)
ハガイ2:1-9,ルカ21:5-9
古代より人間は神への信仰心を表すために壮大な建築物を築いてきた。聖書の民・イスラエルにとって、それは何といってもエルサレムの神殿であった。最初の神殿を築いたのはソロモン。イスラエルがもっとも繁栄を極めた時代のことである。しかしその神殿もバビロン捕囚の時代に破壊されてしまう。信仰心を打ち砕くことが、人々を従わせる最も効果的な方法であることをバビロニアの権力者は熟知していたのだろう。
その廃墟となった神殿を再建したのがハガイ、セルバベル、ヨシュアである。再建された神殿は「第2神殿」と呼ばれた。捕囚から解放されたとはいえ、まだまだ大きな喪失感の中にあった人々。「こんな時にとても神殿再建なんて無理、まずは生活を立て直さないと…」と絶望感に沈んでいた人々に、ハガイは「自分たちは板の家に住んでおきながら、神殿を廃墟のままにしていていいのか」と叱咤した。「こんな時だからこそ祈りの家が必要だ!」と。こうして再建された第2神殿、ソロモンの神殿よりは質素だったが、人々の心の支えとなったことだろう。
そんな風に、人々の祈る心・信じる心を導いた神殿であったが、イエスの時代には形骸化した宗教のシンボルのような場所となってしまっていた。イエスの時代の神殿はヘロデ大王が修復した「ヘロデ神殿」。ローマ風に絢爛豪華な装飾を施した壮麗な建物だったという。
しかしその神殿を中心とする宗教情勢は、人々が見栄を張り合い、金持ちやエリートが自分のステイタス・プライドを誇り合うような場所となり果てていた。裏では祭司・長老たちがヘロデと結託し不当な利益を貪っていたのだろう。その神殿のあり方にイエスが怒りを表したのが「宮清め」の出来事である。
弟子たちはそこで一度、神殿に対するイエスの批判的な振る舞いを見たはずだ。ところがその後、再び神殿を訪れた際に「何と見事な建物だろう」と感激してしまったのだ。それに対してイエスは言われた。「この豪華な神殿の石もいつかは崩れ去る。人の手によって造られたものは永遠ではない」と。弟子たちが「いつそのようなことが起こりますか」と問うたのに対して、イエスは世の終わりの出来事について長い教えを語られた(ルカ21:8-33)。
「人の手で造ったものは、いつかは崩れ去る」…そのように言い切ってしまうと、歴代の信者たちが築いた建物に込められた信仰が否定されているように思える。イエスは決してその信仰を否定されたのではない。しかし、どんなに信仰が込められていようと、人が造ったものは永遠ではないということは真実である。
「それでは空しくなる」と思う人もいるかも知れない。いいえ、決して空しくはありません。「天地は滅びるが私の言葉は決して滅びない」(ルカ21:33)というイエスの言葉を知っているから、信じているからである。「たとえ塔は崩れても、主の教会から鐘はなお響く。」(讃美歌21-400)