『 パンが裂かれたその時に 』川上 盾 牧師

2023年4月16日(日)
ルカ24:28-35

4月9日のイースター礼拝の日は、教会からプレゼントで配られた鶏めしとイースターエッグを持ってみんなで嶺公園にピクニックに出かけ、その後墓前礼拝を行なった。何の気がねもなく、子どもも大人も一緒に食事ができたのは、3年ぶりのこと。コロナ感染の期間はできなかったのだ。みんなで食卓を囲む様子を見ながら、「やっぱり教会の交わりは、こうでなくっちゃ!」という思いを噛みしめていた。

イエス・キリストと信じる人々との出会い・交わりは「開かれた食卓」だった。民族・階級・病気や障害のあるなしによって、人々の食卓が分断されていた時代の中で、イエスはあらゆる垣根を取り払って様々な人と食事を共にした。その様子は当時の指導者たちには無秩序なものと見られ、「大食漢で酒飲み」との誹謗中傷を受けるほどだった。

しかし共に食事をした人々の心には、イエスの姿が強烈な印象として刻まれた。分け隔てなく自分を「共食」の仲間として、そのままの姿で受け入れて下さる振る舞いに、救いを感じた人も多くいた。その食卓の交わりは、イエスなき後も教会の中で引き継がれていった。

そんな大切な交わりから、私たちは3年間遠ざかっていた。「やっとこの日が来た!」そんな感慨に浸りながら鶏めし弁当をいただいた。

今日の箇所はエマオでのイエスとの再会の場面。エマオに向かう途中の道で二人の弟子が出会ったその人が、復活のイエスだと最初は気付かなかった、と記される。同じ姿でよみがえられたなら気付くはずだ。「復活」とは同じ形が再現されることではない…新しい何かが生まれることなのだ…そんなことが示唆されているように思う。

しかしエマオの宿の食卓で、その人がパンを裂かれたその時に、二人はイエスだと気付いた。パンを裂く行為、それは「最後の晩餐」を想い起させる。しかしそれだけでなく、イエスの開かれた食卓のあちこちで何度も目にしてきた光景だ。五千人の共食の時も、重い皮膚病の人の家でも、みんなから嫌われたザアカイとの食卓でも、イエスはパンを裂き、いのちの糧を分かち合い、共に生きようとする姿を示された。あらゆる垣根を超えて、パンを裂き共に生きようとする所ならどこでも、私たちはよみがえりのイエスに出会うことができるのだ。

東日本大震災直後のボランティアのことを想い起す。教団の救援センターのコーディネートにより、仙台の海沿いの地域で、家が流されずに床上浸水だったところにボランティア作業に入った。「食物は持参・ゴミは持ち帰り」が基本。我々も市内で食料や水を調達し、現地に向かい、床下の泥かきをした。

お昼になったので、少し離れたところで弁当を食べようとしたら、被災者の方が「こっちきて一緒に食うべぇ」と招き、自分たちのおにぎりを分けようとされた。「それはもらうわけにはいきません」と遠慮する私たちに、「そんなこと言うなー。一緒に食うのもボランティアだべ!」そう言って分けていただいたおにぎりの味を、私は生涯忘れないだろう。冷たく冷え切ったおにぎりだったが、心が熱くなった。そして「あぁ、ここにイエスがおられるなー」と強く深く感じた。

私にそのような出会いを与えてくれた教団救援センターの名称は「エマオ」。エマオの活動の中で、私はよみがえりのイエスに出会えたような気がした。

人と人とが出会い、パンを裂き共に食べる…そのようにして共に生きようとするところに、よみがえりのイエスも共におられるのである。