『 私たちの信仰告白 』

2023年7月9日(日)創立記念日礼拝(137周年)
ローマの信徒への手紙10:9-13

今年の創立記念日では、4年の月日を重ねて作った『前橋教会信仰告白』を唱和する。なぜこのようなものを作ったのか、そもそも教会が信仰告白を持ち、それを唱和することの意味とは何かをお話したい。

キリスト教の宣教が始まった時期、教会には「信仰告白文」なるものはなかった。「あなたはイエスを救い主(キリスト)と信じますか?」「はい、信じます」そのようなシンプルなやりとりで洗礼が授けられたことだろう。

ところが時代が進み、信徒の数が増え、いろんな考えの人が教会に集まるようになって事情が変わってきた。中には「その信仰理解はいかがなものか…」という人たちも現れてきた。いわゆる「異端」と呼ばれる人々である。そこで教会としては、自分たちの信仰のあり方について要約した「信仰告白文」を作り、それに基づいて宣教し信徒を教育する必要が生じたのである。

最初の信仰告白が「使徒信条」、その後「ニケア信条」「カルケドン信条」「アタナシオス信条」などが造られた。古代信条の時代である。プロテスタントの時代になると、それぞれの教派の成立と共に、各教派(ルター派、長老派、メソジスト等々)が信仰告白を持つようになった。

そんな中、教派として包括的な信仰告白を持つのではなく、それぞれの各教会が独自の信仰告白を持てばよいという教派も現れた。会衆派、バプテスト教会など、国教会からの独立を強く指向した教派である。つまり「上からの縛り」を嫌ったのだ。

前橋教会はこの会衆派(組合教会)の伝統を持つ教会であり、かつては独自の信仰告白を持っていた。それで、現代の私たちの思いと言葉による信仰告白を作ってもいいのではないか、ということで取り組みが始まった。

作成にあたっては、教会員に呼びかけて信仰告白の言葉を募集した。2019年7月のことである。①神について、②イエス・キリストについて、までの募集が終わり、言葉を整理し、あとは③聖霊について、④教会・信仰者の歩みについて、の言葉を…と思っていたところにコロナ感染拡大が起こって、作業がストップしてしまった。3年が経ち、コロナ状況にも先が見え始めた中で話し合いを再開し、作成にこぎつけることができた。

コロナの間。前橋教会が取り組んだこと(レインボープロジェクト、礼拝のライブ配信)によって与えられた視点からの言葉も盛り込まれた。これは「どこかの誰か」が作ったものではなく、私たちの言葉を紡いだ「私たちの信仰告白」である。

礼拝の中で信仰告白を唱える意味は何か。私はかつては、そのようにすることで個々人の信仰を「縛る」ような感じがしてあまり積極的に思えなかった。しかし礼拝の最後に唱和することで、むしろ「信仰告白の言葉に背中を押されて、日常に出かけてゆく」という感覚を覚え、「これはいいものだな」と認識を改めた。信仰告白は私たちの信仰を「縛る」ものではなく、羅針盤として行く先を示すものだ…と。

パウロは「心で信じ、口で公に言い表すなら救われる」と記した。時折、「私は心で信じているから教会に行かなくても大丈夫」と言われる人がいる。でも私は「それはあぶない」と思う。独りよがりな信仰に陥る可能性があるからだ。私たちが信仰の歩みを、大きく外れることなく整えるためには、共に歩む仲間が必要だ。イエスも「ふたり、または3人が私の名のもとに集まるなら、私もそこにいる」と言われた。

個人の、独りよがりな信仰ではなく、仲間と共なる「公の同じ」告白に立ち、それを羅針盤として進む…それが「聖なる公同の教会」(by 使徒信条)である。