『 女性たちの働き 』

2023年7月23日(日)
ヨシュア2:1-14,ルカ8:1-3

「かながわ女性応援団」のポスターを見て驚いた。「Woman’s act / 女性がどんどん主役になる / 神奈川県」と記された文字の下に並んでいる実行委員11人、全員男性!一方、今年6月に行われた「G7男女共同参画担当大臣会合」では、8名の出席者のうち、日本だけが男の大臣であった。「男女共同参画」で、わが国はずい分遅れを取っている。

教会も例外ではない。全国の教会のメンバーの3分の2は女性だが、牧師の数になると、男性が多い。群馬地区の教会で女性牧師はひとつだけ。前橋教会歴代の主任牧師も全員男性…など、まだまだ男中心の状況から抜け出せないでいる。

今日の聖書箇所は旧約も新約もそれぞれの状況の中で活躍した、女性たちの姿を記している。旧約はヨシュア記。エリコの戦いの直前、ヨシュアが送った斥候二人が敵に見つかりそうになった時、これを匿い逃がしたラハブに関するエピソードだ。ラハブは異邦人であり、遊女であり、女性であった。しかし神の救いにおいてその人の属性(人種、職業、性別)は関係ない。ラハブはまことの神を畏れ、二人を助けた。その働きによってイスラエルはエリコの戦いで勝利を得た。その際にラハブとその家族は守られた。

新約はルカの伝えるイエスの弟子集団の姿である。12人の弟子が選ばれたことはよく知られるが、彼らは全員男であった。しかしイエスに従ったのは男たちだけではない。女弟子の存在もあった。

イエスに従ったのは「悪霊を追い出してもらった婦人たち」であり、その名前が記される。彼女らは「自分の持ち物を出し合って一向に奉仕をしていた」と記される。福音を伝え病人を癒すイエスと弟子たちの働き。しかしその働きを続ける上で欠かせない「日々の暮らし」(食っていくこと)を支えたのは女性たちであった。

記された中に「マグダラのマリア」という名前がある。イエスの十字架の最期に立ち会ったひとりである。他の男弟子がイエスを見捨てて逃げ去った後、彼女は最後までイエスのそばにいた。

直前にはイエスによって罪赦された女性の話が記される。他の福音書では「ナルドの香油の物語」として受難週に位置づけられるが、ルカでは前半に置かれる。「あなたの罪は赦された。あなたの信仰があなたを救った」と慰めを受けたこの女性こそ、マグダラのマリアだったのではないか。彼女は娼婦であったとの伝説もあるという。

イエスが社会の中で弱く小さくされていた人々を大切にされた姿を見て、女性たちはイエスに従った。おなじように弱く小さい扱いをうけていた女性たちだからこそ、その姿に心打たれたのだろう。イエスもまた人を属性では見られない。その人のあるがままを受け入れ、祝福されるイエスに、全幅の信頼を抱いて従い、その活動を支えたのではないだろうか。

12弟子は初代教会の活動を担った。しかし彼らだけで宣教が進んだのではない。使徒言行録やパウロの手紙には教会の宣教を支えた数多くの女性たちの姿が描かれる。それは昔の話だけではない。今も続いている尊い働きなのである。