2024年4月28日(日)
イザヤ52:7-10,ローマ10:8b-17
今日は教会総会の日。1年間の私たちの進む方向について、年間標語の言葉・聖句からのメッセージを語りたい。やや内向きの内容となります。ご了承下さい。
ここ数年の教会年間標語・聖句には、コロナ状況の影響が影を落としている。「また笑える日がくると信じて」(2020・21)、「共に夢見て、共に笑おう」(2022)、「主の慰めを受けて、感謝の歌声が響く」(2023). . .コロナで街や教会から笑い声が消えたような状況を過ごす中で、その笑いを取り戻したい!そんな願いを込めていたなーと振り返る。
そのコロナもほぼ終息する中迎えた2024年度。「よい知らせ(福音)を伝えよう」という言葉を掲げた。コロナの苦難と危機を乗り越えた私たちにとって、初代教会以来の原点に戻って、伝道に取り組もうという思いが込められている。心の中にまだ「コロナ疲れ」のようなものを引きずっている私たちにとって、大切な課題だと思うのだ。
そもそも教会にとって、「伝道」とは何だろう?教会を伝道に向かわせるそのエネルギーは何なのだろうか?ひと時「伝道に熱くなる教団」というスローガンが頻繁に語られていたことがあった。大教会の牧師が語る「伝道しない教会は滅びる」などという言葉には、教会拡大主義のような香りを感じて、「ヤダなー」と思っていた。
人を呼び込む計画を立て、それを効果的に実行すれば、教勢(教会に来る人)の数は増え、教会規模や財政も拡大するだろう。しかしそれは伝道に取り組んだ「結果」であり、「目的」ではないはずだ。伝道とは教会が滅びを免れるためにするものだろうか?規模拡大が目標なのだろうか?そうだとするならば、それは「伝道」というよりは「営業」と呼ぶのにふさわしいものではないだろうか。
伝道とは「道を伝える」と書く。イエス・キリストの道が私たちにとって「よい知らせ(福音)」である. . .そう信じ、その道を伝えることこそが「伝道」なのだ。
私たちが互いに憎み合うのではなく愛し合うこと、奪い合うのではなく分かち合うこと、裁き合うのではなく赦し合うこと、人を蹴落として勝ち残るのではなく、ひとりも取りこぼさないようにして共に生きること. . .そんなイエスによって示された道が自分の人生を豊かにしてくれる. . .そう信じ、それを伝えることが「伝道」なのだ。
パウロは「イエスを救い主と信じるだけで救われる」と語る(ローマ10:9)。これはかつてのパウロ(律法学者の頃)とは真逆の考え方だ。「律法遵守」という自分の努力による「自力本願」ではなく、ただ神の招きによる「他力本願」による救い、それが「信仰義認」である(ローマ書3章)。それがパウロにとっての「よい知らせ(=福音)」であったのだ。
しかしその「よい知らせ」も、それを伝える人がいなければ人の心に響き渡ることはない。だからパウロはイザヤの言葉を引用して「よい知らせを伝える者の足は何と美しいことか」と称えるのである。
教会が伝道に励むエネルギーは何か?それは「イエスの道が私の人生には必要だ」という情熱だ。まずはその思いを自分の中に繰り返し確認しよう。そうして「コロナ後の世界にこの道の豊かさが不可欠だ!」そう信じて、「よい知らせ(福音)」をみんなで伝えよう。