2024年7月14日(日) 創立年日礼拝
イザヤ43:1-13, 使徒言行録27:33-44
創立記念日の今日、改めて教会の礎が築かれてから138年間途切れることなく教会の歩みが続けられたことを感謝したい。戦時中は会堂の消失など大きな苦難・試練もあったが、その都度乗り越えて歩んできた。
ここ数年のコロナ状況は教会にとって新たな試練となった。教勢の低下、教会活動の沈滞により、未来を明るく見通すことが難しい状況である。昨年度からようやく活動を全面再開することができた。
昨年のイースター礼拝後、鶏めし弁当を持ってピクニックに出かけたことを印象深く憶えている。共に食事をすることが教会にとってどれほど大切か、改めて感じさせられた時間であった。イエスが大切にされた食卓の交わりを、私たちも大切に歩みたい。
今日の新約は、パウロが裁判を受けるためにローマに移送される際の、困難な航海の様子を描いている。パウロの裁判は、ローマ帝国にとってはローカルな小さな事件であり、エルサレム周辺で決着すればいいようなことだったであろう。しかしローマの市民権を持っていたパウロがその権利を使って上訴したために、ローマに送られることになったのである。
航海技術の発達しない古代社会での船の旅。船は暴風にあおられ遭難しそうになる。すると服役囚であり自由の身ではないはずのパウロが、同乗する人々を励ますのである。「皆さん、元気を出しなさい!神さまは必ず守って下さる」と。
さらに船が漂流し、浅瀬に乗り上げそうになる危機の中、船を見捨てて逃げようとする船員たちをパウロは押しとどめる。そして嵐が落ち着くと「さぁ何か食べましょう。生き延びるために必要だ」と言った。
そしてパウロはパンを取り、感謝をささげてそれを割いて食べ始めた、と記される。何か思い出すことはないだろうか。イエス・キリストの食卓のあちこちで、弟子たちが何度も見た光景である。困難の中にあっても狼狽えず、心を落ち着けて神に祈り、パンを割いて分かち合う...そんな営みのあるところに、イエスも共におられる...そんなことをこの箇所から示される。
3~4年に及ぶコロナ状況は、教会から体力を奪い元気を失わせた。これから先行きのことを考えると、ため息と不安しか出てこない...まるで嵐で遭難しそうな船の中にいるような心境である。そんな私たちにパウロは語りかける。「皆さん、元気を出しなさい!神はきっと教会を守って下さる、必要として下さる」と。その言葉を信じて、元気を取り戻したい。
「私の目にあなたは値高く、貴く、私はあなたを愛している」(イザヤ43:4)、このイザヤの言葉はいつの時代の人々にも必要な言葉である。そしてその言葉をそのまま体現されたのが、イエス・キリストの生涯である。その福音に生きる喜びを知っているから、パウロは語るのである。「皆さん、元気を出しなさい!」
私たちもイエス・キリストの福音に生きる喜びをもう一度想い起こし、元気を出してキリストに従ってゆきたい。