2025年1月19日(日)
イザヤ52:7-10、マタイ14:13-16
(今日は第3回の“カラコン”(これからの前橋教会について語り合う懇談会)の発題のようなメッセージです。)
2024年度の年間標語は「よい知らせ(福音)を伝えよう」、年間標語はイザヤ書52:7「いかに美しいことか. . .良い知らせを伝える者の足は」である。イザヤにとっての「よい知らせ」とはバビロン捕囚からの解放であった。その言葉を、人間を救いへと導くイエス・キリストの福音を伝える働きとして引用したのがパウロである。
イエス・キリストの教えや生き様との出会いの中に救いがあると信じるのがクリスチャンである。その救いをまだ知らない人に伝える働きが「伝道」である。
ではその伝道は、誰がするものなのだろうか。宣教師・牧師だろうか。もちろん、彼らはそのための専門職である。しかし伝道とは宣教師・牧師だけが担うものではなく、教会の信徒もそれを担うひとりとなり得るのではないだろうか。
例えば、おいしいラーメン屋があるとする。それを自分だけの秘密にしておきたい. . .そういう気持ちからは伝道の働きは生まれない。けれども「他の人にも食べて欲しい、喜んで欲しい」そんな気持ちを抱くのであれば、その思いから伝道が始まる。今の言葉で言えば「推し活」である。
ただし、ひとつ気をつけたいことがある。自分にとっては「世界一のラーメン」ではあっても、他の人にはそうではないかもしれない. . .そう考えて押し付けない、無理強いしない. . .そんな節度を大切にしたい。できることはただひとつ、そのおいしいラーメン(「推し」の対象)について、愛をこめて語ること、出会いの喜びを伝えることだけだ。
ところで、今日のカラコンでは、その「福音」(=イエス・キリストとの出会いの喜び)そのものの内容ではなく、どうやって伝えるか、その方法について語り合いたいと思う。これまでも前橋教会では伝道計画を立ててきた。ではその「言い出しっぺ」は誰だったか。これまでは役員会、とりわけ私(牧師)の発案が多かったと思う。それを牧師や役員に限らず、広くアイディアを募るところから作り出していきたいのである。
今日の新約は良く知られた「五千人の共食の奇跡」である。イエスの話を聞くために集まり、話に聞き入り、夕暮れになってお腹を空かせた人々。弟子たちはイエスに「群衆を解散させて、自分で食べるものを手配するようにして下さい」と申し出た。するとイエスは「あなたがたが食べ物をやりなさい」jと言われたのだ。
必死にかき集めたのだろう。弟子たちが見出したのは5つのパンと2匹の魚であった。「たったこれだけ. . .」。しかしそうして見出したわずかなものから、奇跡が始まっていくのである。大切なのは収穫や成果の量ではない。「あなたがやりなさい」と言われ、それに応える働きが大切なのだ。
「誰かがやってくれるんでしょう?」. . .そんな風にひとまかせにしたい心を私たちは持っている。そんな心に向けてイエスは言われるのだ。「あなたがやりなさい」。