2025年8月3日(日) 平和主日
ローマ9:24-28
8月は日本社会に生きる者にとって、戦争を平和を考えるのにふさわしい季節である。1945年の敗戦から80年、ふた世代が入れ替わる時間が流れる中で、過去の戦争責任を否定し、日本の再軍備を主張する人々が現れ、これに拍手を送る人が増えている。「今は新しい戦前」(タモリ)という言葉がリアリティを持つ時代に危惧を感じる。
このような再軍備を語る人が、同じ熱量で訴えるのが外国人排斥につながるようなメッセージである(日本ファースト、アメリカ・ファースト)。外部に敵を想定し、これを批判・排斥することを通して内側の結束を計る. . .これは古来から繰り返されてきた、戦争に至る人類の行動パターンである。
異質な者・価値観を異にする存在に対する不安や恐怖を煽ることで、世界を対立や分断に陥らせる. . .そんなメッセージが幅をきかせる中で、私たちは「そうではないメッセージ」、すなわち共存への道というものを聖書から受けとめたい。
「神は私たちを憐みの器として、ユダヤ人からだけではなく、異邦人の中からも召し出して下さいました」。今日の箇所に記されたパウロのメッセージである。旧約聖書に記された「神の選び」、それは「神はイスラエル(ユダヤ人)を選び、救いの道を示された」というものだ。
保守的・伝統的なユダヤ人はこれを、「神はユダヤ人だけを救われた」(ユダヤ人ファースト)と受けとめてきた。しかしこれを、「神はユダヤ人を<通して>すべての民を救いへと定めておられる」と広くとらえ、人々に伝えたのがイエス・キリストだ。
パウロは元々は保守派であり、クリスチャンを迫害していた。しかしキリストに出会って価値の大転換(「目からウロコ」)を経験し、それ以来異邦人伝道に使命を感じる伝道者となった。
旧約聖書のメッセージは最初ユダヤ人に与えられた. . .イエス・キリストはユダヤ人としてお生まれになった. . .それはひとつの事実である。しかしそれは「ユダヤ人だけ」を救おうとされたのではなく、「ユダヤ人を通して」、すべての民に救いを届けるため. . .そう解釈するに至ったのである。パウロが引用した旧約の預言(ホセア2:25)は、とかくユダヤ人ファーストととらえられかねない旧約聖書の文脈の中で、神のグローバルな救いへの道が語られているものだ。
「異なる人々」を内なる感情のまま排除するのではなく、同じ命を受けた者同士共存する. . .それこそが平和への道だと信じたい。そのために必要な物は何か?それは「武器」ではない。武器とは相手を信頼せず力でねじ伏せようとする心が持たせるものだ。必要なのは「言葉」である。仲良くすることが難しくても、言葉によって思いを届け合うことを通して折り合いをつける. . .そんな言葉の持つ力に信を置いて、たとえ好きになれない相手でもその存在を「大切にする」。そこに平和がある。