2025年12月14日(日) CS合同礼拝
ルカ2:8-14
先月、とてもうれしいことがありました。伊藤さんのところのルーくんが、教会の中をハイハイで動き回るのですが、ある日僕の所までハイハイしてくると、僕の足につかまって「つかまり立ち」をしたのです。その瞬間、僕は何もできなくなってフリーズしてしまいました。「あさがおに、つるべとられて、もらい水」という川柳がありますが、それと同じ状態です。
うれしかったのは、そのとき僕の心の中で起こったことでした。ルーくんは何も恐れることなく、全幅の信頼を寄せて僕の足につかまっています。その頼ってくれる心に応えなきゃ!そう思ったら、心の中が「キューッ」と来るのを感じました。するとからだが動かなくなってしまったんです。まだ自分にそんな心が残っていたことを感じられて、とてもうれしかったのです。こどもの力ってすごいなーと思いました。歳を取って、心が固くなってしまったじいさんの思いを、一瞬にして溶かしてしまうのですから。
いま教会には何人もの赤ちゃんがいます。礼拝の最中に赤ちゃんの泣き声が聞こえます。満席の飛行機の中だったりしたら、誰かが「うるさい!」と言いだすかもしれません。でも、前橋教会にはそんな人はいません。(よね!?) それどころかその泣き声、そしてまだ力が弱く、独りではうまく歩けない姿が、周りの大人の力を引き出すのです。赤ちゃんの泣き声から力をもらえる、そんな前橋教会でありたいなーと思います。
イエスさまはベツレヘムという小さな町で生まれました。どんな場所でしたか?「飼い葉おけ」の中です。清潔なベッドやおふとんの上ではなく、貧しい家畜小屋でお生まれになられたのです。
それはとても貧しいお誕生でした。でも「みじめ」ではありません。カッコ悪くもありません。とてもあたたかい、祝福に満ちたお誕生だったのです。飼い葉おけに生まれた赤ちゃんイエスさまは、マリアさん、ヨセフさん=大人たちの力を引き出してくれたからです。
そのイエスさまの所に最初に訪れたのは?羊飼いです。決してお金持ちではありません。立派な知識を持ってる人たちでもありません。野宿しながら貧しい生活をしていた人たちです。そんな彼らに、天使の最初の知らせが告げられたのです。
「きょうあなたがたのために救い主がお生まれになった。ダビデの町(ベツレヘム)の飼い葉おけに寝かされた赤ちゃんこそ、その救いのしるしである」。お告げを受けた羊飼いたちはどう思ったでしょう?「エーッ?赤ちゃんなんて弱々しくて、人を救う力なんてないよー!」そんなことは思わずに、「さぁベツレヘムに行こう!神さまが知らせて下さった出来事を見ようじゃないか!」と出かけていったのです。
飼い葉おけの赤ちゃんは教えてくれます。神さまの救いの力は、大きくて立派で強い人たちのとこに訪れるのではなく、いと小さき者のところに訪れるんだよ、そこから始まるんだよ、ということを。
