「神の選び、その理由(わけ)」 

2025年12月21日(日) クリスマス礼拝
ルカ1:46-56

今日、クリスマス礼拝で二人の仲間の受洗式が行われた。先日の信仰告白会では、それぞれの信仰の思いが語られた。二人には「自分の決意で信仰を選んだ」という思いがあるだろう。けれども、そこで考えて欲しい。「自分か神さま(イエス・キリスト)を選んだのではなく、神(キリスト)が自分を選んで下さった」. . .そう受けとめるのが信仰の営みであるということを。

恋人たちの愛の告白になぞらえるなら、「あなたが告白したから神さまが振り向いてくれた」のではなく、「神さまから『あなたを愛しているよ』と言われている、そのことに気付いたから『はい』と返事をした」. . .それが洗礼の決意なのだ。「神さまは全宇宙の中で、他でもないこのわたしを選んで下さった」そう信じる時、そこに確かな信仰の歩みが与えられるだろう。

では、神さまが私たちを選ばれた、その「選びの理由」とは何なのだろうか?現世での祝福を与えるため?天国への招待券を手渡すため?クリスマスのマリアの物語がそのことを教えてくれる。

マリアはまさに「選ばれた人」。突然現れた天使が「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられます」と語りかける。しかし続く言葉は決して「めでたい」ものではなかった。結婚前の彼女に示された幼な子の懐妊。それは様々な非難やバッシングの標的にされかねない事柄であった。

神の選びはうれしいこととは限らない、むしろ苦労を背負うこともあるかも知れない. . .そんな運命を、それでもマリアは「お言葉通りこの身になりますように」と引き受けてゆく。自分に益があるから、楽しくワクワクすることだから. . .ではない。しんどい、重荷に感じることだけれど、それが世界の救いにつながることだから引き受けるのである。

親類エリサベトの訪問を受けた時に、マリアが返したのが「マグニフィカ―ト(マリアの賛歌)」である。この賛歌の中に神の選び・その理由が示される。「力ある方が、身分の低いはしために目をとめてくださった」。マリアは高貴で優れた女性だから選ばれたのではない。いと小さき者だからこそ選ばれたのだ。

さらにマリアは神の驚くべきみ業を語る。「思い上がる者を打ち散らし、権力ある者を引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を満たし、富める者を空腹のまま追い返される」。私たちが「当たり前」と思っている秩序がひっくり返される、そんな革命的な出来事を語るのである。

神の救いはそのような形で世に届けられる。そして、そのためにイエスは世に来られた. . .そのことを示すのが飼い葉おけの中に生まれた幼な子の姿である。そんな神の救いの働きの一翼を担うためにマリアは選ばれたのである。

神が私たちを選ばれるのも同じ理由からである。私たちが快楽に満ちた人生を歩んだり、他人を蹴落とし勝利者になるためではない。いと小さき者を大切にし、そこから少しでも世界の救いにつながる者となる...そのために選ばれたのである。