2026年1月25日(日)
申命記30:11-15
今日は申命記についてお話をしたい。申命記は「ふたたび(申)命じる」という意味の書名である。出エジプトの出来事によって民を解放し自由へと導いた神は、モーセを通して民との間に契約を交わす。これが十戒・律法であり、具体的には出エジプト記・レビ記に記された律法の条文、「第1の律法」である。
その後民は約束の地に入るのに40年の間荒れ野をさすらう。そしていよいよその地に向かおうとする際、モーセが再び律法の教えを語って聞かせた. . .それが申命記、「第2の律法」である。
この「第2の律法」は、「第1の律法」よりも普遍的だと感じる内容となっている。「第1」が祭儀や生活についての細かな指令(How to)の内容が多いのに対して、「第2」は「なぜこのことをするのか(Why)」ということが記されており、読んでいて私たちにとっても馴染みやすいものとなっている。
申命記特有の言い回しがある。「わたし(神)はあなたたちの前に祝福と呪いを置く」「命と幸い、死と災いをあなたの前に置く」. . .ちょっとギョッとする表現だが、示された律法は強要するものではなく、従うか従わないか、選ぶのはあなただよ. . .ということである。
神は人間をご自分の操り人形にしようとされるのではなく、決断を下す主体性を認めて下さる方である。もちろん人が罪を離れて生きることを望まれるが、その道を無理やり強制するのではなく、個々人が良く考えて自分で選ぶことを望まれる。その意味で、逆説的に言えば「罪を犯す自由」も認めておられる、ということだ。
今日の箇所では「神の言葉はあなたの近くにある。天の彼方、海の彼方にあるものではない」(12-14節の要約)ということが言われている。「神の言葉・神の戒め」などというと、高尚な日常から離れたところにあるもの(日曜日の午前中だけ聞くもの). . .そんなイメージがあるかも知れないが、人と神の言葉の関係はもっと身近なものということだ。
15節では先の言葉、「命と幸い、死と災いをあなたの前に置く」という言葉が記される。これを受けて「神の言葉を聞かない者には死と災いが臨む. . .」などと脅すようなことは言いたくない。しかし、それを聞く者・聞こうとする者には命と幸いに至る道が示されることは信じたい。
そうは言っても、その神の言葉とはどんなものか。どのように聞こえて(響いて)来るのだろうか。「神の言葉は聖書に記されている」とはいっても、この分厚い本のメッセージをすべて記憶することは不可能だ。どのようにして私たちはそれを身近に感じればよいのだろうか。
ひとつのアイディアがある。「キャッチコピー」を作ってみる、というやり方だ。聖書が示す様々なメッセージから、短い言葉で心に響く・考えさせる…そんな言葉をいくつも作ってみる。ちょうど、あの「お寺の掲示板」のように。そしてその中から「今日はこの言葉をテーマに生きてみよう」と選んでいく。そうすることによって、神の言葉・戒めを自分の身近に感じて生きていくことができるのではないか。
私たちを生かし導いてくれる「神の言葉」は、決して遥か彼方・縁遠い世界にあるものではない。「神の言葉」を身近に感じよう。
