2015年8月2日(日) 平和主日礼拝
ルカによる福音書19:37-44
6月6日、高崎で行なわれた『STOP戦争法案市民集会』で連帯アピールと歌を頼まれ、出かけてきた。行く車の中から土曜日の昼下がりの日常の風景が見えた。自転車で談笑しながら走る中学生・高校生たち。「自分にもあんな時があったなー…」そう思って眺めていた。
私が中学生の頃、ベトナム戦争が行なわれており、反戦運動もなされていた。ベトナム戦争、それはアメリカが「集団的自衛権」を旗印に、ベトナムの内戦に参与していった戦争だ。しかし中学生の私は、自分や自分の仲間たちが「戦場に向かわねばならない」などという心配をひとつもすることなく、のどかな日常を暮らすことができた。それは日中戦争や太平洋戦争の反省に基づく平和憲法があったからだと思っている。自転車の中学生を見て改めて考えた。「非戦の誓い」が憲法の解釈によってねじ曲げられようとしている現実の中、あの子たちが戦場に駆り出される日が「絶対来ない」と断言できるだろうか、と。
大きな時代の変化、大きな過ちの兆しは、一見平和に見える日常の中から、もうしでに始まってしまっているのかも知れない。そんな状況の中を、私たちは黙ったまま過ごしてしまってよいのだろうか。
エルサレムに向かうイエスの姿を、街の人々は「ホサナ!(救いたまえ!)」と叫んで迎えた。その騒々しさを忌々しく思ったファリサイ派のひとりが、イエスに「あいつらを黙らせろ!」と命じたところ、イエスは応えられた。「もしあの人たちが黙れば、道端の石が叫ぶであろう」。それほど救いと平和を求める民の願いは強かった、ということだろう。
僕は、いま国会を取り囲んでいる何千・何万人という人々、あるいは各地で行なわれる集会に集まる人々、そんな人たちがやむにやまれぬ思いから発する「戦争反対」の声を聞いて思う。それはまさに「石の叫び」ではないか、と。
「思いはあるんだけど、自分には何もできない」という人がいるかも知れない。しかしデモに参加して声を挙げることだけが「行動」ではない。小さな思いをつぶやく、近所の人とのお茶飲み話で「戦争はやだね。」と語り合う。車のリアウィンドに『戦争反対』のメッセージを掲げる。そうやって「石の叫び」に連なってゆく…それでも十分だ。何もしないでいるよりは。
ナチス・ドイツに抵抗し投獄された経験を持つM.ニーメラー牧師は、戦後その体験を振り返りつつこう言った。「ナチスが共産主義者を弾圧したとき、すこし不安があった。しかし自分は共産主義者でなかったので、なにも行動しなかった。次にナチスは社会主義者を弾圧した。さらに不安を感じたが、私は社会主義者でなかったので何も行動しなかった。それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人などをどんどん弾圧し、そのたびにいつも不安が増していったが、それでもなお、行動にでることはなかった。それからナチスは教会を弾圧した。自分は教会の牧師であった。だから立ち上がって行動にでたが、そのときはすでにおそかった」。
「その時は遅かった」と言わないために、今自分にできることを重ねていこう。
(下の歌を6月6日の集会で、作者・沢知恵さんのお許しを得て歌いました。
その時の様子は、Youtube で見ることができます。ここをクリック。)
♪われ問う (作詞・作曲/沢 知恵)
大好きなおじいちゃん
どうしてこの国は戦争したの?
おじいちゃんほどの人が どうして
戦争を止められなかったの?
大好きなおじいちゃん
ほんとうのこと教えてよ
どうすれば同じあやまちを
くり返さなくてすむの
ここまでなら大丈夫と
だまって見ているうちに
気づいたら 何ひとつ自由に
ものを言えなくなっていた
大好きなお父さん
どうしてあの人たちを見捨てたの?
お父さんほどの人が どうして
見て見ぬふりをしたの?
大好きなお父さん
ほんとうのこと教えてよ
もしかしたら私もいま だれかのことを
見て見ぬふりしているの
自分なりなりにかかわり
せいいっぱいやったつもりでも
時代の重さとはやさに
押しつぶされて流された
愛する子どもたち
私はあなたを守りたい
はじける笑顔いついつまでも
消えないでほしいから
愛する子どもたち
おろかなおとなに語っておくれ
正義と愛とまことと
夢と希望と未来を
We shall overcome, Someday
Oh deep in my heart I do believe
We shall overcome, Someday
ここまでなら大丈夫と
だまって見ているうちに
気づいたら 何ひとつ自由に
ものを言えなくなっていた
自分なりなりにかかわり
せいいっぱいやったつもりでも
時代の重さとはやさに
押しつぶされて流された
いまどうしてだまっているの?
いま何を迷っているの?
だれと生きてゆきたいの?