2015年11月22日(土) 収穫感謝CS合同礼拝
ルカによる福音書12:15-21
紙芝居『あんぱん』と、絵本『しんせつなともだち』を読みました。『あんぱん』の「欲張りくん」は、あんぱんをひとり占めして、最後は自分が困ってしまいましたね。一方の『しんせつなともだち』では、仲間のために食べ物を届け合っているうちに、最後は自分のところに戻ってきました。
みなさんはどっちのお話が好きですか?僕は小さい頃、「欲張りくん」みたいな子どもでした。でも今は『しんせつなともだち』みたいになれたらなー、と思います。どうして変わってきたか?そのわけを話す代わりに、ひとつのお話しをします。
いまから何万年も前、人間は小さな集団を作って生活をしていました。集団で狩りに行って、獲物が捕れたらいいけど、捕れなければお腹を空かせるしかない。そんな時代です。その頃の人間の化石が発見されました。死亡推定年齢45歳、これは当時の人間としては「超」長生きの歳だそうです。
その骨を調べていて、いろんなことが分かってきた。この人は右の目が不自由で、右腕が肘から下がなくなっていました。この人は狩りがうまくできません。自分で獲物を捕ることができない。にもかかわらず、平均寿命よりも長く生きられたのです。なぜか?それは周りの人々がこの人に獲物を分けて、助けていたからです。
他の自然界の生き物は、自分で獲物が捕れなくなれば死ぬしかありません。でも人間は違う。「分かち合うこと」ができるのです。どうして人間は分かち合うことができるようになったのか?そうしないと叱られるから?違います。分かち合って生きる方が「気持ちがいいから」です。人間とは「分かち合うのは気持ちがいい、うれしい」そんな心を持った生き物なのです。神さまはそんな心を持った存在として人間をお造りになられました。
でも私たち人間の心には、もう一つの気持ちも宿っています。それは「ひとり占め」をしようとする心です。
イエスさまの語られたたとえ話です。金持ちの畑が豊作でたくさんの食べ物が手に入った。金持ちは大きな倉庫を建てて、そこに食べ物をしまってひとり占めしよう考えた。倉庫が完成し「これであと何年も食っていけるぞ!」と喜んでいたら、その日の夜、神さまの使いが夢の中に現れて言いました。「愚か者よ、お前のいのちは今日限りのものだ。そうしたら、お前がたくわえたものは、一体どうなるのだ!」
イエスさまは、最後にこう言われました。「自分のために富(宝)を積んでも、神の前に豊かにならない者は、この通りだ!」
世界中の人がこの金持ちのようになったら、奪い合いが生じ戦争が始まります。世界中の人が分かち合う心を持つ。共に生きる。そこに「平和」が生まれるのです。
♪空をひとり占めできないように、みんなのものだよ、食べ物は。
分かち合いましょう、感謝の心で。♪
(『わたしたちの食べるもの』こどもさんびか102)