2016年6月5日(日)
ハバクク2:1-4、ヨハネ福音書3:22-30
私がコンピュータで処理をしていた事務に関するデータが、保存していたSDカードから一瞬にして消えてしまった。こういうことはよくあることらしい。教会の事務だけでなく、群馬地区や同宗連、個人的なデータなども入っていたので、大変困ってしまった。
青ざめながら調べてみると「データリカバリーソフト」というのがあるらしい、と分かった。さっそく入手して試してみると、5割くらいの文書は復帰できた。しかし残りの5割は壊れたり消えたりしてしまった。
動揺する自分を見つめながら、過去のデータや文書にこだわっている自分の姿を振り返っていた。「前に向かって橋を架けよう」「後ろのものを忘れ、前のものに目をむけつつ…」などと言いながら、けっこう過去にとらわれてるな、と。
過去とのつながりを断ち切られる体験は、私たちを大きく動揺させ落胆させる。パソコンのデータ消失など、まだ「ささいなこと」と言えるかも知れない。震災や津波、戦争などによって大切なものを失った人にとっては、それどころではない話であろう。「過去への思いを断ち切って前を向きなさい」などと言われても、とてもそんな気持ちにはなれないだろう。しかし、聖書にはそんな大きな喪失体験の中で、幻を見た人のことが記されている。預言者ハバククもそのひとりだ。
バビロン捕囚の時代に活動したハバクク。国破れ、まさに過去のすべてを失ったかのような状況の中で、彼は民の思いを代弁するかのように神に問う。「どうしてあなたの選ばれた民がこのような苦難に遭わねばならあいのですか。」するとハバククは神の声を聞く。「バビロニアの暴虐が打ち滅ぼされ、神の救いが訪れる時が必ずやってくる。だから幻を書き記せ!」と。
幻(将来へのビジョン)というものは、漫然とした中ではなかなか見えてこない。見ようとしなければ見えてこない、そして書き記さなければ仲間と共有することもできないものではないだろうか。そうすることによって、つらい過去をも乗り越えることができる。
「みんながあの人(イエス)のところへ行っています。」と告げられたバプテスマのヨハネ。彼が「過去の栄光にすがりつく人」だったならば、この言葉を聞いて穏やかではいられなかっただろう。しかし彼は言う。「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」どうして彼はそう語れたのか?イエスの中に、新たな幻を見ることができたからではないだろうか。
過去をふりかえり、それを反省と共に記録することは大切なことである。しかしそれと共に大切なのは、新たな幻を見ることである。教会創立130周年を迎えるこの節目に、新たな幻を求めて歩みたい。