『 古くて新しい掟 』

2017年5月14日(日)
ヨハネの手紙Ⅰ 2:1-11

戦後日本の歩みを下支えしてきた日本国憲法が、今年で施行70周年を迎えた。「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」。特に平和主義を定めた憲法9条は、太平洋戦争の苦しみを体験した人々に希望を与え、多くの人がこれを歓迎した。

その憲法9条を、大きく書き換えようという動きが年々強まっている。曰く「現憲法は70年間一字一句たりとも変えられていない… それでは現実との整合性が取れなくなる… 憲法と言えども『不磨の大典』ではない… そろそろ改訂していいのではないか… その機は熟している…」。ようするに古い決まり事だから変えてもよいだろう、ということだ。

様々な「決まり事」は人間が定めたものであり、古びてしまう、現実に合わなくなることが起こり得る。必要とあればその「決まり事」を見直し、改訂を加えることはどの組織でも社会でもやってることだ。前橋教会でも役員人数の規定の見直しを始めようとしている。だんだんと現実と合わなくなってきているからだ。

しかしそのような身の回りの規則変更と、国の目指すべき目標である憲法とを同列に論じることは乱暴過ぎる。国の理想を定めた憲法の改訂は、「古いから」という理由だけで進めるのでなく、もっと熟慮と話し合いが必要だ。

「憲法9条では、近隣の国がミサイルを撃ってくることを守ることができない」と言う人がいる。確かに何らかの「条文」が、飛んでくるミサイルから人を守るということはあり得ない。しかし「我々は戦争の放棄を定めた憲法を遵守する」という国に先制攻撃をかけることを、国際社会に説明することはできない。このような姿勢で外交交渉を行なうことには、高い知性が必要だ。その知性が戦争を回避させる、という形で国を守るのである。

「わたしがあなたがたに書いているのは、新しい掟ではなく、始めから受けていた古い掟です」とヨハネは語る。その掟とは「互いに愛し合いなさい」ということだ。イエスはさらに「敵をも愛しなさい」「友のために命を捨てなさい」と教えられた。

私たちは誰一人として、その掟を完璧に守ることはできない。しかしだからと言って「それは現実と合わないから」とその掟を変えようとしたり、捨てようとてしまってよいのだろうか?むしろそれは、実現不可能に思えるからこそ、永遠に目指すべき理想・目標であり、永久に取り組み続ける課題となるのではないか。

「互いに愛し合いなさい」それは私たちの身の回りのことから始めて、国と国との関わりあいに関することに至るまで、大切な掟である。それは「古くて、新しい掟」なのである。