2017年7月9日(日) 創立記念日礼拝(131周年)
歴代誌下6:12-21,Ⅰコリント3:10-17
みんなでで祈りを合わせて迎えた創立130周年記念の礼拝から1年が経過した。現在の礼拝堂は最初から数えて6代目の建物。今年6月、従来のミントグリーンの外壁をアイボリーに塗り直し、建物の雰囲気も一新した。しかし中身はこれからである。
今日の聖書の箇所は、いずれも神を賛美し、祈りと供え物を献げる場所、主の神殿に関する箇所である。旧約・歴代誌下は、ソロモンによってなされた神殿建設計画の記録である。どんな素材を使い、どんな形で、大きさは何アンマで… そんな記述が続く。読んでいる私たちにはどこか縁遠いこと、「そんなのどうでもいいじゃないか…」と思いたくなるような内容である。
しかしそれは本当に「どうでもよい」のだろうか。私たちも自分の家や教会を建てる時は、形や大きさ・素材などに「あーでもない、こーでもない」と思いを巡らし悩みつつ進めていくではないか。
そのように細部に至るまで綿密に計画を練って、ソロモンはイスラエル史上最初の神殿を築いた。今日の聖書の箇所は、その神殿の完成にあたってソロモンが神にささげた祈りの言葉である。ここでソロモンは驚くべき言葉を口にする。
「神は人間と共に地上に住まわれるでしょうか… わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません」。心を込めて建てた神殿を前にして、普通なら「どうです!」と胸を張りたくなるような状況で、ソロモンはそのように語るのである。神は人間をはるかに超えた方であり、人間がコントロールできる存在ではない。このへりくだりの思いこそ、信仰の原点であることを教えられる。
一方の新約は、コリントの教会にあてたパウロの手紙の一節である。コリントの教会はいくつも問題を抱えていたが、そのひとつに内部分裂があった。「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに…」そんな派閥争いに明け暮れていた教会の人たちを戒め、教え導くためにパウロはこの手紙を書いたのだ。
派閥争いというのは、建物で言えば「上もの」の違いで争っているようなもの。しかし土台はキリストなのだ、「上もの」争いのような愚行は「かの日(終末)」には焼き尽くされるであろう…そんな厳しい叱責の言葉に続いて、パウロは驚くべき言葉を語る。
「あなたがたは神の神殿であり、神の霊のすまうところだ。」そう語るのである。派閥を作り、自分のちっぽけな主張によって互いに争っている愚かなコリントの人たち。しかしそんな彼らに、パウロは「あなた方が神の神殿なのだ」と語りかける。だから自分のことをもっと大切に見つめなさい、そして目の前にいる隣人を大切に受けとめなさい、ということだ。
ソロモンのへりくだり、謙虚な自分自身への振り返り。そしてパウロの人間理解、人間存在への誇り。この一見相反するような二つの思いが、実は私たちの信仰にとって大切な心がまえとなるのではないだろうか。神殿とは建物のことではない。「神の霊の住まうところ」のことなのだ。創立131年を迎える「いのりの家」に集う私たち。「神の霊の住まうところ」としてふさわしい歩みを求め続けよう。