『 神に従う歩み 』

2018年6月3日(日)
使徒言行録4:13-21

日大アメフト部員による悪質タックル問題で、当事者の選手が「たとえ監督・コーチに指示されたとしても、自分自身が『やらない』と判断しなければならなかった」と述べていた。これは単にひとつの大学運動部の事柄にとどまらず、人間の意思決定や価値判断に大きく関わる問題だと思う。

監督・コーチの指示で彼は違反タックルを行なった。同じように「上司の命令」によって企業はデータを書き換え、省庁では公文書の改ざんが行なわれた。そして「上司の命令は絶対」と言われる軍隊では、歴史上様々な蛮行が繰り返された。

「小さな抵抗」という句集を発行された元日本兵のことを知った。無教会のクリスチャンである渡辺良三さん。太平洋戦争で学徒出陣として中国北部に出兵、捕虜の中国人を銃剣で刺殺するよう命令を受けるが、彼はそれを拒んだ。そのために上司から暴行を受けたこともあったが、やはり同じ無教会の信者であった父の「判断に迷ったら神に祈れ」という言葉を胸に、残虐行為に走らなかったという。そんな戦争の出来事を語り継ぐべく、したためられた短歌の句集を発行された。「祈れども、踏むべき道はただ一つ、殺さぬことと心決めたり」「なりどよむ大いなる者の声聞こゆ『虐殺拒め、命を賭けよ』」

ペンテコステ以来、イエス・キリストの福音を宣べ伝えた使徒たち。彼らは今のような自由と人権が守られている時代の人たちではなかった。キリスト者であることが知れると、弾圧を受け処刑されるかも知れない中での勇気ある行動であった。そんな人々によって伝道の業が展開されてきたことを覚えたい。

ペトロがエルサレムでイエスの教えを語っていたところ、周囲のユダヤ人たちが使徒たちを脅し、「あの名(=イエスの名)によって語ってはならぬ」との命令を下した。しかしペトロは「神に従わないであなたがたに従うことが神の前に正しいことだろうか」と応じ、「我々は語るのをやめることはできない」と語った。十字架のときイエスを拒み逃げ去った姿から見れば、成長を遂げた彼の歩みを見ることができる。

「人に従うより、神に従うべきだ」とペトロは語った。私たちにとって「神に従う歩み」とはどんなものだろうか。今は弾圧の時代ではない。自由と民主主義が定着した時代だ。私たちがそれを作り出したのではない。先達たちが積み上げてくれた歴史に感謝をしたい。しかしそういう時代というのは、私たちの「神に従う信仰の力」がずいぶん軟弱になっている時代かも知れない。

福音や平和を命がけで語らねばならなかった時代は「不幸な時代」である。しかしそんな時代が絶対に再び来ないとは限らない。「神に従う歩み」を貫いた人たちの姿から、大切な信仰を学びたい。