2018年7月29日(日)
申命記10:12-11:1,マルコ9:42-50
今から25年前、私はひとつのサーカスの公演を観に行った。「ベンポスタ子ども共和国サーカス団、ロス・ムチャーチョス日本公演」。全国各所で行なわれた中の新潟での公演に出かけた。
「ベンポスタ」とはスペインに作られた「こどもたちの共和国」。独自に大統領を選び、通貨を持ち、自分たちで仕事をして収入を得、共同生活をする。ヘスス・シルバ神父が、1956年、軍事独裁政権下で劣悪な環境に置かれた子どもたちを救援するために作った共同体だ。
「共和国」の最大収入源がこどもサーカス。そのプログラムの最後に作られるのが「人間ピラミッド」。肩の上に人を乗せて五重くらいのピラミッドを造り、みんなで叫ぶ。「強い者は下に、弱い者は上に、そしてこどもはてっぺんに!」こども共和国の目指す理念を表す一大パフォーマンスである。この共和国は今は無くなってしまったらしいが、掲げられたこの理念は、今も大切なものとして光を発している。
キリスト教にはこの「いと小さきものを大切にする」という理念が、伏流水のように流れている。もちろん歴史の中で強者の側に立ち過ちを犯したこともあったが、必ずそれに対する批判や改革も現れる。それは他でもないイエス・キリストご自身が、いと小さき者と共に生きられた人だったからだ。
そのイエスの生き様を導き出したのは、旧約聖書に記された教えであった。イスラエル民族の信仰の原点である出エジプトの物語。その中で、神がなぜイスラエルを選び救い出そうとしたか語られる場面がある(申命記7章)。「主があなたたちを選ばれたのは、数が多かったからではない。あなたたちはどの民よりも貧弱だった。」強いから選ばれたのではなく、弱いから選ばれたということだ。
「孤児・寡婦・寄留者を大切にせよ」とも教えられる。これは民の中で最も立場の弱い人々である。そのような人々を軽んじることなく大切に守ること。それが神のみこころであることが示される。そしてその教えを最大限に受け継がれたのがイエス・キリストだったのだ。
新約のイエスの教えは、あまりにも厳しい。「いと小さき者をつまずかせるくらいならば、首に臼をくくりつけて海に沈んだ方がましだ。」「手や足が罪を犯すなら切り捨ててしまいなさい。」… こんなことを実践できる人はいないだろう。
イエスは時々極端なことを言われる。しかしこれは、文字通りそうせよ、ということではなく、そのくらいの気持ちで受けとめなさい、ということだろう。一種のショック療法だ。イエスが言いたかったことは「いと小さき者をつまずかせてはならない」ということだ。「それは首に臼をくくり海に投げ入れられるほどの大きな罪なのだよ」と。
私たちは、つい力を持つ者を尊重し、能力や名誉、財力を求めてしまう。しかしイエスはご自身の生き様を通して呼びかける。「小さな人々を大切に愛しなさい。決して軽んじてはならない。それが最も大切な神のみこころなのだ」と。