『 感謝して分かち合う 』

11月23日(日)  収穫感謝CS合同礼拝

コリントの信徒への手紙 一 3:6-9

今日は収穫感謝の礼拝です。「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし成長させて下さったのは神です。」(今日の聖書の箇所)太陽の光、雨の水、土の力。神さまが与えて下さった恵みで収穫(食べ物)が与えられることを心から感謝しましょう。

でも、感謝する相手は神さまだけではありません。土を耕し、種をまいて、作物を大事に育ててくれた農家の人、畜産業(お肉)、漁師(お魚)その他、私たちに代わって食べ物を整えて下さった人々にも感謝の気持ちを忘れないようにしましょう。

みんなは、スーパーでお金さえ出せば、いつでもどこでも食べ物が手に入れられる、「そんなのはあたりまえだ」と思ってはいませんか?それは「間違いです!」食べ物は自動販売機で勝手にできるわけではありません。神さまが光や水を下さって、いろんな人が汗を流して働くことによって、初めて収穫できるものなのです。

例えばお米。お米の種である「籾(もみ)」から私たちの口に入るお米ができるまで、どのくらいの日数がかかるか知っていますか?種籾から苗までが40日、田植えから収穫までが140日、合わせて180日。およそ1年の半分の期間かかるのです。その間草取りをしたり、水の調整、中干しといった作業を繰り返して、やっとあのおいしいお米が出来上がるのです。

「米」という漢字を分解すると「八十八」になります。88の手間がかかる、それが米作りです。「百姓」とは「百の仕事」という意味です。お百姓さんは百の仕事ができる人なのです。カッコイイですね!

そんな風にして収穫されたお米やお野菜、肉・魚を食べて私たちは生きています。それは「あたりまえ」のことではありません。それは「有り難い」ことなのです。感謝の気持ちをいつも忘れず食べるとステキですね。

感謝の気持ちを持つ人は、収穫を独り占めしません。分かち合うのです。あなたは空を独り占めできますか?できませんよね。同じように大事な収穫も独り占めできないものなのです。神さまと作ってくれた人たちへの感謝の気持ちを持つ人は、分かち合うことを喜べるようになるのです。

 

『飯は天』 金 芝河

飯が天です
天を独りでは支えられぬように
飯はたがいに分かち合って食べるもの
飯が天です
天の星をともに見るように
飯はみんなで一緒に食べるもの
飯が天です
飯が口に入るとき
天を体に迎えます
飯が天です
ああ 飯は
みんながたがいに分かち食べるもの

(キム・ジハ 韓国の民衆詩人)