『 栄光からの折り返し地点 』

2019年3月31日(日)
イザヤ52:13-15,ルカ9:18-27

NHK大河ドラマ『いだてん』の主人公・金栗四三は、ストックホルムオリンピックのマラソン競技に日本人として初めて出場した。当時の世界記録保持者であったが、当日のレースでは折り返し地点を過ぎて熱射病で倒れ、念願を果たせなかった。栄光に向けてのチャレンジは、折り返し地点で挫折に変わった。

本日はレント第4主日、古来より「レタレ」と呼ばれるレントの季節の折返し地点である。「レタレ」とは砂漠でオアシスを見つけた時の喜びを表す言葉だそうで、この日だけは「克己・修養・悔い改め」といった装いだけでなく、小さな喜びを表現することがあったという。深く自分を見つめるのは必要な体験だが、あまり長く厳しいと、辛くなる。「レタレ」の折り返しの行事は、無礼講のような形で、喜びや活力を与えてくれる。

今日の箇所は、イエス・キリストのその生涯の折り返し地点に当たる場面と言えよう。イエスはユダヤの中でも低く見られていたガリラヤのナザレの出身であったが、そのガリラヤから宣教を始められた。イエスの宣教は、先駆者バプテスマのヨハネと同じように、相手が権力を持つ人物であっても怯むことなくその非を批判した。そのイエスが最終的に目指された場所がエルサレム、イエスと対立するユダヤ教指導者たちの拠点とする街であった。

イエスはエルサレムにどんなことが待ち受けているのか、それを予測しておられた。十字架の苦難である。いよいよこれからエルサレムに向かうという日に、イエスはご自身の苦難について弟子たちに三度にわたって予言している。

しかし弟子たちにとってそれは「晴天の霹靂」であった。弟子たちは「この方こそメシヤ・救い主、我々に栄光を与えてくれる人である」と信じていた。しかしそのイエスが苦しみを受け、殺されるというのだ。

「そんなことあってはなりません!」とペトロはイエスを諫めようとした。「あなたには栄光を受けてもらわねばならないのです!」そんな思いが強かったのであろう。そしてそれまでのイエスの姿、その言葉と振る舞いは、まさに彼らの期待する「栄光のメシヤ」に相応しいものだった。

しかしイエスは知っておられたのだ。本当に栄光を受け人々に救いをもたらすためには、人間的な栄光を得るための坂道を昇り詰めるだけではそこにたどり着けないことを。本当に人々を救う道は、力を誇示する歩みではなく、自ら痛み・弱さを引き受ける歩みを通してこそ開かれるものであることを。

金栗四三は折り返し地点を過ぎて「図らずも」失速した。しかしイエスは栄光からの折り返し地点を過ぎたところで敢えて失速し、弱さの中に道を定められた。イザヤ書53章に記された『苦難の僕』のように…。そこに込められたイエスの思いを深く見つめながら、残りのレントの日々を過ごそう。