『 さぁ冒険に出かけよう 』

2019年11月24日(日) 収穫感謝CS合同礼拝
創世記12:1-4

収穫感謝礼拝はアメリカの感謝祭(サンクス・ギビング・ディ)に由来する行事です。その始まりは1620年、ヨーロッパでの迫害を逃れてアメリカに渡ってきたピューリタンたちにさかのぼります。最初の冬、困り果てていた彼らを先住民(ネイティブ・アメリカン)の人たちが助けてくれました。おかげで翌年、豊かな収穫を得ることができました。収穫を感謝し、先住民の人たちを招いて礼拝とパーティをした。それが感謝祭の始まりです。

最初に海を渡ってきた人たちのことを「ピルグリム・ファーザーズ(巡礼者の祖先たち)」と呼びます。「巡礼者」とは神さまを求めて旅や冒険をする人のことです。アメリカという国の歴史はそういった人たちから始まりました。聖書には75歳の時に神さまの呼びかけに応えて旅に出たアブラハムの物語が記されています。アブラハムも、ピルグリム・ファーザーズも「冒険する人」だったのです。

今から150年以上前、まだ江戸時代が続いていた頃、ひとりの若者が日本を脱出しアメリカに渡りました。当時、勝手に国を出ることは禁じられており、見つかったら死刑になるかも知れない時代でした。しかし若者は、本で読んだアメリカのことや聖書の教えが知りたくて知りたくて、国禁を犯して舟に乗りアメリカに渡りました。大冒険に出かけたのです。その若者こそ、新島襄、同志社・共愛学園や前橋教会の創立は、この人の存在抜きには考えることができません。

新島襄、当時の名前の七五三太(しめた)君は、アメリカ人の船長さんに可愛がられ、船の仕事を手伝いながら1年かけてアメリカ(ボストン)に渡りました。でもすぐに入国できたわけではありません。身元引受人や勉強をするための費用を出してくれる人が見つかるまで上陸は許されませんでした。仲間の船員たちは「そんな人が都合よく見つかるわけがない。あきらめて日本へ帰れ」と七五三太君をからかいました。

それでも七五三太君はあきらめずに頼れる人を探しました。そしてついに「アメリカでのお父さん」とも呼べる人物、ハーディさんという人に出会いました。ボストンの港についてから3ヶ月目の出来事でした。3ヶ月の間、しめた君は不安で仕方なかったと思います。でもそんな期間、彼が読んでいた2冊の本があったそうです。1冊は聖書、そしてもう1冊は「ロビンソン・クルーソー」です。いかだに乗って冒険の旅を続けたロビンソン・クルーソー。その冒険者の物語が、七五三太君を励ましてくれたのですね。

ハーディさんのもとで勉強を始めた七五三太君は、その後名前を「ジョセフ(愛称はジョー)」と変え、9年間一所懸命勉強し、牧師の資格を得て日本に帰り、同志社大学やたくさんの教会の設立に関わりました。もしボストンで、3ヶ月の間にあきらめてしまっていたら、前橋教会も存在しなかったかも知れません。

アブラハムも、ピルグリム・ファーザーズも、新島襄も、冒険をする人でした。あきらめないでチャレンジする人に、神さまは豊かな収穫をもって応えてくださったのです。

「冒険」とはジャック・スパロウやルフィのように、舟に乗ってあちこちに行くことばかりではありません。初めてのこと、やったことないこと、ちょっと難しそうだなーと思うことにチャレンジすることです。チャレンジすることには不安や心配があります。チャレンジしなければ失敗はありません。安心です。でもそこでは、思ってもみなかった出会いが与えられる喜びも得られないのです。神さまの与えられる収穫を信じて、さぁ冒険に出かけよう!