どこかで、誰かが

2020年6月14日(日) 花の日・こどもの日CS合同礼拝
詩8編、ルカ12:6-7

コロナウィルスによって「みんなで集まる礼拝」ができなくなって、とても淋しいです。「赤ちゃんからおじいちゃん・おばあちゃんまで」いっしょに集まれるのが教会のステキなところだったのに、それが出来ないのがつらいです。

そんな中始めたのが「ライブ配信」による礼拝です。これで離れていてもスマホがあれば一緒に礼拝をささげることができます。世界中の人が前橋教会の礼拝を見ることができるのです。

ところで、ライブ配信をするようになって、今までとは少し勝手が違うことが出てきました。「いつも誰かが見てる」…そのことを意識するようになったのです。もうお祈りの時に頭をかいたり、鼻くそをほじったりはできません。「誰かが見てる」ということを意識すると、人間の行動は変わってくるのです。

僕は小さい頃、お家の人から「隠れたところで悪いことしてても、神さまはちゃんと見てるからね!」と、よく怒られました。叱られながら「そんな神さまって、なんだか監視カメラみたいでヤだな~」「ちょっとは見逃してくれよー」そんなことを考える子どもでした。

でも、中学生・高校生くらいになると、違うことを感じるようになりました。中高生はこどもから大人になる「途中」です。そんな時期に、カッコつけたり、わざと悪ぶったりする中高生がいます。川上盾少年もそんなひとりでした。

カッコつけたり、悪ぶったりすることで楽しいこともありました。でも辛い時もあったのです。本当の自分はそんなにカッコよく(悪く)ないのに、自分を偽らなければならない…それはそれでしんどいことでした。

でもそんな少年の心に響いてくる声があったんです。「なにをカッコつけてんねん。何を悪ぶってんねん。お前の心はちゃんとお見通しやで…」そんな神さまのまなざしを感じるとき、それは少し「ホッと」することでした。そこでは自分を偽らなくてもいいからです。

「1羽の小さなスズメをも、神さまは目をとめて下さる。あなたがたのことはそれ以上に思っていて下さる。忘れることはない。」イエスさまの教えです。神さまはいつでもあなたのことを見ておられるよ、と教えておられるのです。あなたはひとりじゃないよ、と温かく励まして下さるのです。

いつも神さまが見ておられる…それはある意味で「恐ろしいこと」です。人の目はごまかせても、神さまの目をごまかすことはできないからです。神さまのまなざしを感じて、正しく生きようとすることは大事なことです。

でもそれは同時に、安心できること、ホッとすることでもあります。なぜならそのまなざしの前では、自分を偽らなくてもいいからです。わざとカッコつけたり、悪ぶったり、いい人を演じることもない。「あなたはあなたでいいよ」と受けとめて下さるからです。

「どこかで、誰かが、ちゃんと見ていてくれる。」そんなまなざしが、私たちの日々生きる背中を押してくれる…そのことを信じて、感謝して生きてゆきましょう。