『 レット・イット・ビー 』

2014年12月14日(日)
ルカによる福音書1:26-38

ビートルズの名曲「Let it be」の歌詞に登場する“Mother Mary”は、この曲の作者・ポール・マッカートニーのお母さんの名前であると同時に、イエスの母マリアのことでもある。そしてリフレインで繰り返される“let it be”という言葉、これはマリアが受胎告知を受けて語った「お言葉通りこの身になりますように(let it be to me, as the words of you)」から取られたものと言われている。

天使の言葉を「お言葉どおり…」と受け入れるマリア。それは従順な信仰の模範であるというとらえ方もある。しかし本当にそうだったのか?婚約中の女性が婚約相手とは違う関わりの中で子どもを懐妊する… それは律法の掟を杓子定規に当てはめれば、相手の男を探し出して一緒に「石打ちの刑」に処せられる大罪であった。

「おめでとう恵まれた方…」という天使の語りかけを、最初マリアは「どうしてそんなことがあり得ましょうか」と返している。明らかに戸惑っており、拒否するようなニュアンスすら感じる。しかし「神にはできないことはありません」という声を聞いて、「お言葉通り…」と応えるのである。

この「どうしてそんなことが…」という思いから、「お言葉通り…」という思いへと、何の抵抗もなく移っていけたのだったら、確かにマリアは完璧な信仰者の模範であると言えるだろう。しかし同時に、私たちにとって学ぶことの少ない出来事になってしまうような気がする。なぜなら私たちはすべてのことを「お言葉撮り…」などとはとても言えない心を持って生きているからである。

しかし、もしマリアが激しい戸惑いを感じつつ、迷いつつ、それでも「お言葉通り…」と言えたのだとしたら、そこには学ぶべき信仰の歩みがあると思う。大切な役割だと分かっていながらそれを引き受けることが憚られる…そんな弱い気持ちを支え、そして押し出してくれる言葉、それが“Let it be”なのである。

私たちはもう一人、血の汗を流しながら“Let it be”と祈った人のことを知っている。それは言うまでもなくイエス・キリストである。十字架の苦難を前にイエスは祈る。「できることならこの盃を取りのけて下さい」。苦しみを前に悩みうろたえる生身の人間の姿である。

しかしそれに続いてイエスは祈られた。「しかし私の思いではなく、みこころのままになりますように」。“Let it be”、イエスもそう祈られたのである。

私たちにも「出来ることなら御免こうむりたい」と思える苦難や試練が訪れることがあるかも知れない。そんな私たちを支える祈りの言葉、“Let it be”。この祈りに支えられて歩みを進めよう。

 

♪ Let it be   / Paul McCartney

私が苦しみに出会う時 母マリアが現れて
知恵に満ちた言葉をかけてくれる “Let it be”
暗闇の中に包まれてしまう時 彼女は私の前に立ち
知恵に満ちた言葉をささやいてくれる “Let it be”
知恵ある言葉をささやいてごらん  “Let it be”